愛があれば何でもできる?
『そんなの当たり前だろ!』とはいかないか…
多分、どうしようもない時に愛は鎖になると思う。
確かに普段生きていく中で『愛』は
とても大きな存在で勇気も優しさもくれる。
だからこそ
愛があるから
窮地に立たされたり大きな決断をする時
愛を理由に動けなくなるときがあるように私は思う。
後悔なんて山程ある。
大小あれど
思い出すだけで胸が痛くなる。
だから私は『挑戦する』っていうのがすごく怖かった。
失敗して後悔するのが嫌だから、、、
でもそんな時に
『失敗したときは後悔じゃなくて反省をすればいい』
なかなか人の前に出ていけなかった私に
中学の先生が言ってくれた。
どうしても勇気が出ない日はもちろんあるけど
この言葉をもらってから
少し怖さが減った。
だから私にとって魔法の言葉
風に身をまかせ
午後6時、多くの人が帰る道を
あえてずらして
滅多に通らない細い道を
母とサイクリングしたことがある。
当時の私は
私なりに一生懸命に頑張ってて
でも、それが結果に繋がらなくて
そんな思いを抱えて
逃げれなくなってた
そんな時に
唐突に自転車で走り回ってみたくなった。
母にとって午後6時は
1番忙しい時間のはずなのに
私の後ろを静かについてきてくれた。
それがすごく嬉しかった。
失われた時間、、、
私は、そんな時間ないと思っている。
失うっていうのは0みたいなイメージ。
ならば
失敗して立ち直れずにうじうじした日も
ぐーたら寝てる時間も
趣味を優先したあの日も
怠惰に生きている瞬間も
勉強より友達を優先したあの時も
悪くはなかったんじゃないかと思う。
無駄じゃないから失ってない。
むしろ今は0に思えても
無駄にした、失ったと思う時間が
10年とか経ってみたら
必要だったと思うかもしれない
子供のままでいたならば、、、
私が
頭が悪いと知らず
運動苦手で馬鹿にされると知らず
容姿が美しくないと知らず
八方美人と言われることを知らず
人から下に見られていると気がつかず
特別な才がなく、平凡だと気が付かず
余計なことを考えず
笑顔で過ごせたかもしれない
でも
挑戦することの楽しさも
勇気を出した時に得られるものも
周りの人が支えてくれることも
家族の大切さも
仲間が味方をしてくれることも
くじけた時にそばにいてくれる人がいることも
子供のままでいたならば知らなかった