奇跡をもう一度って?
二度も起これば、それは奇跡じゃない。たったの一度でさえ起きないもの、それが奇跡というものだ。
でも、その出来事が何奥何兆の選択肢のうちからたった一つだけ選ばれたものなのか、二つ三つの選択肢のなかから選ばれたものなのか、出来事自体を俯瞰して見ることができないわたしたちにとって、結局はそれが奇跡なのか、よくあることなのか、知りようがない。
生きることをただ単調な日々の繰り返しとみるか、奇跡の連続だとみるか、それは主観で判断するしかない。
だから、奇跡は二度と起きないと言えるし、もう一度どころか何度でも起きるともいえる。
そう思うんだけど、どう?
別れ際に
また会えますか。
本気になりますよ。
表通りは雨だったが、、路地を一本入ると雪がちらついていた。気温が十度は下がったと思う。
通り雨があるなら、通り雪も降るだろう。
雨宿りがあるなら、雪宿りもあるだろう。
わたしは路地を少し入ったところにあった立ち飲み屋で雪宿りをさせてもらうことにした。
立ち飲み屋なので、もちろんみんな立って飲んでいる。路地に向かってそれぞれの背中とお尻を向けて立っている。その向こうの店主らしき老人の顔だけがこちらを向いていた。
老人はわたしを認めると、顎を少しだけ左に振って、そっちが空いてるよ、と教えてくれた。
何にする?
客を客とも思わないぶっきらぼうな口調で老人は訊いてきた。
雪が降り出したら、そりゃあ熱燗でしょ。
老人はそれに返事もせず、青菜の煮浸しをんたしの前のカウンターにすとんと置いた。
アテは?
やはり老人はぶっきらぼうに訊いてきた。店主がそういう口調で話し、それに違を唱えない客だけが集まるのが、この店のあり方なのかもしれない。
おでんの盛り合わせで。
さっきからおでんの出汁の良い匂いが漂ってきていた。
生姜醤油も。
とわたしは付け足した。
了解。
と老人は言い、今度は熱燗とぐい呑みをわたしの前に置いた。
冷えると思ったら、外の雪は本降りになっていた。
わたしは手酌の酒を一口で飲み干した。
明日の朝にはけっこう積もってるかもしれない、そう思い、そう願いながら、わたしは二杯目も飲み干した。
雪の降りはさらに強くなっていた。
窓から帰ります。
それが近道だから。
玄関から帰ります。
それしか知らなかったから。だから遠回りだなんて考えもしなかった。
窓は人が出入りするところではなくて、光と風だけが通ることができるのです。
玄関は人が出入りするところで、しかも、光と風も通ることができるのです。
窓から外が覗けます。窓から中が覗けます。
そして、窓から入れます。出ることもできます。
常識の範囲で窓を使ってくださいね。
もちろん、玄関も。