好きな人には、ずっと隣で笑っていてほしい。
子供の頃は、そんな風に思っていた。
自分に自信があったのだろう、
あの頃の自分に、たまに戻りたくなる。
今はもう、そんな事は考えない。
好きな人の幸せのために僕はいらない。
好きな人のために出来る事は離れる事ぐらいだろうから。
僕は、自分の事をもっと知りたい。
そう思っていたけど間違いだったのかもしれない。
自分の事が余計に分からなくなった。
最近は、好き食べものすら分からない。
自分の事は案外、曖昧で良かったのだろう。
他の人と比べたら自分は駄目な人間だ。
駄目な人間を知ったところで意味はない。
からに閉じこもらずに他人を知るべきだったのかもしれない。
そうすれば、自分が何を求めてるか知らなくてよかったのに。
毎日が退屈だ。
これは平穏な日常なんだろうか。
もう、ずっと何をしてもつまらない。
何が楽しいかすら分からなくなって探す物も少なくなってきた。
したい事も飽きてきた。
心が空っぽのままずっと過ごしてる。
満たされない。
でも最近、変わってきた事もある。
人と比べる事も少なくなり益々、平穏な日常がやってくる。
焦りも少なくなってきた。
ただ、また悪夢を見る。
なぜ、愛と平和なのだろう。
共存するものなのか、類似なものなのか、それとも、どっちかを持っているともう一つの方を欲するのか。
僕は、愛も平和も求めた事はない。
ただ、戦争を遠ざけないといけない事だけ教わった気がする。
戦争は愛する物を奪う。
だから、愛と平和の反対なのだろうか。
でも最近、愛する者のためにする戦争も過去にはあったなんて考え出してからよく分からなくなってきた。
それとも、そんな戦争は無かったというのだろうか。
過ぎ去った日々にさようなら、と何回言っただろう。
過去に捕らわれたってしょうがない。
そう思って分かってはいるけど捨てられない。
それは知っているからだ。
過ぎ去った日々にさようなら、と言ってしまったら、また同じ過ちを繰り返す。
過去が教えてくれるから今を生きられる。
でも、過去のせいで苦しいのも事実だ。
人は何故、過ちから学ぶことが多いのだろう。