自分の今の生活が嫌になった訳では、ない。仕事に不満もなく、友達もたまに遭う。結婚もして、妻と子供にも恵まれ穏やかな日々を過ごしている。
全てが、嫌になった訳ではない。
ただ、これからの日々が見えてしまった。仕事も上司のようになっていく、家庭も子供が大きくなっていく、友達も、同じように老けていく。
未来が明るくて、詰まらない。
俺は、これが欲しかったのか世間的にみて欲しいと思ったのか分からなくなってしまった。
たまに思う。
人生をやり直して同じ人生を歩むほどの人生を過ごせているのか。
人生をゼロからのスタートと、させたら俺は、やはり世間的な幸せを選ぶだろう。
自分という人間は、臆病者だ。
自分の不幸と、他人の不幸には同情する。
自分の幸福と、他人の幸福には同情しない。
何故だろうか?
もし、反対だったら自分の幸福と他人の幸福に同情する。自分の幸福度は、上がるだろう。
しがし、他人の不幸と、自分の不幸に同情しない。不幸の度合いは、増えるだろう。
人生が、楽しいのは後者だが私には無理だ。子供の時とはちがい、気づかないうちに怯えて臆病者になってしまった。
そんな、私に同情する人は多くはないのだろうか?
最近、ワインの量が増えた。
最初は、体のために赤ワインを二杯だけ飲んでいた。夜ご飯には、好きなパスタと、カプレーゼを作る。そして、夜の11:30分に眠くなる。
今は、赤ワインを飲んでも眠くならない。飲み過ぎだから、体のためとも言えない。食べ物は、自分では作らなくなった。音楽も、聴かなくなった。仕事で疲れてるけど、なにも出来ないほどしゃない。ただ、なにか、満たされない。
ワインを飲み始めた時は、今日と一緒に眠りに就いた。今は、夜の12:00を迎えてる。
そういえば、子供の頃は、夜の12時を回っても月がいたのが不思議だった。
時間が、天体を支配してると思っていたのだろう。
今日も、眠れずに月を眺める。少しずつ、痩せてきた月を。
今は、夜の11:59分。
後少しで、今日にさようなら。
私には、イチゴ大福を食べに行く、和菓子屋さんがあった。その和菓子屋さんは、人通りが少なく、小道の入ったところにある和菓子屋さんだ。
私は、月に一回ほど行っていたが一昨日行くと、和菓子屋さんは看板がなくなり旗も取り外されていた。
私は、移転したのかとも考たが、いつからあるのか知らないし、和菓子屋さんとだけ思っていたので探しようがなく、無くなってしまった理由を考えながら帰路についた。場所がやはり悪かったのか、和菓子の人気が洋菓子と二分されてしまったのかなどと考えていたら、イチゴ大福の旗を見つけた。
私は、そのお店に寄り、イチゴ大福を買うといつもよりお釣りが多くイチゴも大きくなっていた。別れもあると出会いもあると思い、お店の名前をメモして家で食べたが酸味が自分には強かった。
お気に入りの和菓子屋さんの名前を知らず、多分二回目は行かないお店の名前だけ知っている。そういえば、お気に入りの和菓子屋さんで、イチゴ大福を食べるまでは、酸味が強くてそんなに好きではなかったのかも知れない。
誰よりも、何が優れていたらいいのだろうか。
誰よりも早く走れたら、誰よりもテストで点数が高かったら、誰よりもお金を持っていたらー。
私は、お金を稼げそうな優れた才能や能力はもっていない。でも、才能や能力を持っている人や、実家が裕福な友達にも悩みがあり、テレビやYouTubeの人達にもきっと悩みがある。でも、隣の芝生は青い。
しかし、何かが、誰よりも優れていたらお金は手に入る。選ばれた人間と言われるのだろう。努力したのも苦労したのも分かっている。でも、羨ましく、醜い嫉妬をしてしまう。才能や能力が欲しい。
誰よりもー。しかし、こう思うこともある。
[もし、人と競うことなく、自分の価値観で生きられたらー。]
いや、私の場合はお金が邪魔をするだろう。