はなればなれになった2人が
ずっとずっと前に進んでいたら
地球の裏側で出会えるかな
みたいな歌詞を思いついた米津さん
それに感動した母親と
母親に教えられて感動した私と
今前から歩いてくる来る誰かと
犬の話をしていたとき。
「柚さんは、大型犬っぽい」
「そうかな。汐ちゃんは大型犬好き?」
「中身が柚さんなら巨大型犬でも飼いたい」
「ふふ、それはよかった。」
私の中では、いつものなんでもない会話だったからすぐに忘れてしまったけれど、少し経ってから、
「私が犬になる話とかしたね。」
「汐ちゃんが飼ってくれるんでしょう?」
って言うから。かわいいから。想像する。
きっと、私が家に帰ったら
「汐ちゃん。お散歩の時間だよ。」
って言って、お昼寝もスマホも、
もふもふの体で阻止してくる。
お散歩中のゆずさんはきっと
いつもと同じでいつも違う景色から
色んな連想をして
物思いにふけるんだろう。
そこから少しだけ、
私に共有してくれたりするんだろう。
朝はその日の夢の話を、
夜はその日の月や星の話をしてくれる人だった。
ぼーっと夕暮れを眺める柚さんを
後ろから見守る。
「綺麗だね、汐ちゃん。」
毎日毎日、必ず言ってくれそう。
夕日に透けるふわふわの毛を秋風になびかせて
私に微笑むゆずさんはきっと
夕日なんかよりもずっと綺麗で眩しくて
犬になっても抜けない
あの優しさが引き起こす脆さからくる儚さで
私の不安を煽る。
うん、柚さん、綺麗だね。
..今度は居なくならないでね。
ふわっと優しく私を撫でる秋風にどうしようもなく泣きそうになる。
地球の水は循環しているらしい。
私の目から出た水はいつか雲になって私の前に降ってきてくれるから、なんの躊躇いもなく流せるときに沢山流そう。
空から、お迎えに来てね。また会いましょう。
私が執着して全ての苦の意味を見出して最終的なゴールで絶対的な概念である「幸せ」さんは、きっと時間がゆっくり流れる優しくて温かくて心の静まるオレンジ色の空間なんだと思っています。
スリルがないままゆるゆると過ぎていく手持ち無沙汰な時間を「有意義」なものとして受け入れられない人間の仕様を「神様ってばかなんだなぁ..」と思うことでオレンジ色に近付こうとしています。
間違ってるかもしれないけど、今はこれでいい。
ゆずの、『飛べない鳥』という曲。
父の好きな音楽が私の知っている平成の音楽。
「君と歩きそして笑うために」
「不釣り合いでも構わない」
今見返すと、寂しくて強くて優しい歌。
あの頃は曲の意味なんて考えてなかったから、車を運転する父の横で満面の笑みで叫ぶように歌っていた。懐かしい。