ずっとこのまま、時がとまればいいのに。
ずっとこのままか、変化を選ぶべきか。
悩み悩んで生きている。
幸せな時間がずっと続けばいいのに、
変わらない、なんて、生きてる限りあり得ない。
もしも変わっていないように見えているなら、変わっていないように努力しているのだ。
それはすでに変化が周りにつきまとう。
人との付き合いなんて、ずっとそばにいたはずなのに、いつの間にか私の知らない顔が増えてたり。
昔は話が楽しいと思えたのに、今はさほど興味がない。
なんて思うか、なんて言うか予想がつくからかもしれないけれど。
刺激が欲しいと、交流を新しく持ったりしても虚しい。
私は一体何がしたいんだろう。
求められたい?
いや、見てほしくない。
好きなことしてたい?
好きなことがたくさんありすぎて、全部半端な自分がいや。
話したい?
自分の話はつまらない。聞いてたい。
みんなは何を生きがいにしてるんだろう。
二十歳になったら勝手に大人になって
何もしなくても当時の二十歳のような感じになると思っていた。
けれど、実際時が経ってみると、精神面はそこまで変わらないままだ。
「学生気分」なのだ、大人になったなあと、感じるのは23歳頃からかな。
自由に使えるお金があって、好きなところに移り住み。
仕事をするとやっと一人前になれたかな?と。
中学生のときに思う20歳にはそれでも遠かったけれど。
社会経験が自分を映し出す鏡になる。
30超えても、未だ立派になれていない。
いつになったら満足するかな。
幸せ
しあわせ
シアワセ。
幸せになる権利がある、だとか
幸せにする、幸せになろうだとか
心を満たす行為=幸せ
何気なく見てた花が咲いたり
食事がおいしかったり
いい香りのするアロマをみつけたり
そんなので、よかったはず。
人と関わってしまうと、そうもいかなくて
ふとした時に自分は本当に何も無い。
何がしたいかと問うても【わからない】
なにかになれたら違ったのだろうかと考える。
でもきっとそのときもまた
これでいいのだろうか、と認められないのだろうな。
刷り込みのように
幸せにならなくてはと思い込まされているんだ。
直しようが、無い。
幸せについて、いくら考えても答えは出ない。
『寂しさ』
ふとした時に「寂しさ」を感じる頻度が高くなっていく。
それは、歳を重ね、経験という名の思い出が増えていくから。
あの日、あの時
こんな風な天気だったなとか、ほんの些細なことがきっかけで温かい思い出が蘇るのだ。
いつの間にか交流が無くなった友達、仕事仲間、別れた恋人。
いま、何してるんだろ。
そうやって相手も思ってくれているのだろうかと考えてしまう。
一時期よく話していたネッ友も、今では絡みもしない。
どう絡めば良いのか分からなくなった。
仲良くなったきっかけすらも忘れてしまうのに、また仲良く話したいとか、都合が良すぎるよね。
今更とか、
いっそ何もかも忘れてしまいたい程の後悔。
過去の仲良かった人をたまに気にかけて、
今どうしてるか気になるのって私だけ?
そして、行動できずに、「寂しさ」だけを感じて時が癒やすのを待つ。
考えすぎてしまうから私は今を生きる。
今関わっている人たちを大切にしたい。
けれど心は求めてしまうな。
誰一人、同じ性格の人はいないから。
心と心ね…
話し相手の心がみえたらいいのにと思ったり
見えないけれど分かる感覚ってあるよね。
自分を好いてる、嫌ってると判断して1人で苦しくなってる。
好かれたら『そのうち嫌われる』恐怖
嫌われたら『あなたがそうしたいなら無関心に』といいながら心の奥で元に戻れたら、はじめに戻れたらといつまでもグジグジしてしまう。
仕事終わりに家につくともうずっと今日のあの発言は…だの、あのときの相手の態度がひっかかる…だの永遠に思い出しては心臓の奥がキュッとする。
記憶なんて曖昧なくせに、そういうのだけ忘れられないんだよな。
ほんとに生きるの向いてないなって
そう思ったらさ、
いわゆる、終活をしようってなるわけ。
そうして身辺整理をすると、心が安定するのか
『もうすこしがんばろう』と足掻いてしまう。
もうね、記憶もおぼろで会話も上手くできないの。
話してることを途中で忘れてしまうの。
だからそんなとき、感情をつなぐ道具があればいいのにと思うんだ。
どうして人はつながりを求めてしまうの。
要らないのに、そんな感情。
同じテーマでも、みんなの心と心はあたたかいね。
そこでまた私は憂鬱になる。
届かない。