あゆ

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9/4/2024, 8:22:58 AM

新しい職場で自分の教育担当になってくれた人がいた。
明るくハキハキしていて、とても快活な人だった。
そんな先輩と、教育初日のことだ。
「仕事のことを教える前に、まず一つだけ伝えておくことがあります」
真面目な雰囲気を感じとり、私は「はい」とだけ返事して話を聞く姿勢を取った。
「仕事でミスをするのは、正直仕方ないです。でも、報連相だけは怠らないようにしてください」
私は黙って聞き続けた。
「技術的なミスはこれから減らしていけばいいです。みんな始めはそうだったんですから。でも、コミュニケーションエラーは今からでも予防することが出来ます」
「始めのうちは話しかけづらいと思います。でも、まずは練習だと思って私に話しかけてみてください」
「どんな些細なことでも構いません。気になったことはどんどん聞いてください」
「そのための教育係なので」
先輩は明るい笑顔で話を締めた。
私は嬉しかった。
前職で人に恵まれなかったということもあり、この時点で私にとって先輩は光のような存在になっていた。
「はい!」
自然と返事にも力がこもった。先輩のためにも、出来るだけ頼られがいのある存在になろうと思ったからだろう。
「じゃあ早速、まずはこの仕事から説明していきますね」
「はい!」
この会社を選んでよかったと、私は本気で思った。

──しかし、そう思ったのも束の間のこと。

先輩との教育が始まって二週間ほどが経過した頃、先輩が休職してしまったのだ。
「すみません、先輩に何かあったんですか?」
上司に訊ねると、上司は深いため息を吐いて「……ちょっと来てくれ」と。
よく分からないまま着いていくと、近場の会議室に案内された。
他の会議室と比べると比較的小さな間取りの個室に、まだそこまで交流のない上司と二人きり。
居心地の悪さに身を捩っていると、上司はまた深いため息を吐いてからおもむろに話し出した。
「……休職の理由だが、ストレスからくる心身の不調だそうだ」
「ああ……そうだったんですか……」
それはまた大変だ……と先輩の身を案じていると、上司は重い口調で訊ねてきた。
「……今の話を聞いて、何か思い当たることはないか?」
思いもしていなかった質問に、私は目をぱちくりと瞬かせることしかできなかった。
正直、何一つとして思い当たることなどなかったのだ。そして、その感想は自然と口から漏れ出ていた。
「思い当たること……?」
私のその反応は上司の問い掛けに対するアンサーとしては十分だったようで、上司はまた大きくため息を吐き、「……わかった、もういい」と。
よく分からないまま話をまとめられたような流れに疑問を感じていると、そんな私を気にも留めずに上司は話を締めに入った。
「今日以降の君の教育担当は、今から行う役職者会議で決めることになる。それが確定するまでは、……とりあえず、教わった業務をこなしておいてくれ」
「はい……」
なんとなく腑に落ちず、返事も曖昧なものになる。しかし、
「以上だが、何か質問は?」
そう言われて、私は待ってましたとばかりに「一つあります」と胸の前で挙手をした。
なんだ?と表情で促され、私はハッキリとした口調で、
「次の教育担当の方が決まるまでの間、私は誰に情報を共有すればいいですか?」
と。
上司の表情が一瞬苦虫を噛み潰したように歪んだ気がしたが、上司はすぐに、
「……とりあえず、メモにでも残しておいてくれ」
と。
報連相の類いは共有するまでのスピード感が重要なはずなんだけどな……と反抗の言葉が出かかったが、まあ上司がそう言うなら、となんとか収めた。
「分かりました」
「じゃあ、よろしく」
会議室を出て、自分の席に戻る。
先輩のことが気がかりだったが、どうにもならないことを気に掛けていても仕方がなかった。
ならせめて、先輩が戻ってきたときに驚かれるぐらい成長してみせよう。分からないことはきちんと教わって、自分が教えられるぐらいになるのだ。
新たに目標を掲げ、思いを改めて、私は業務に取り掛かった。

一時間後、新しく担当になったという先輩が挨拶に来たが、前任の先輩に比べるとどことなく覇気が無いように見えて、あまり頼りになるようには見えなかった。
しかし、そんなことを言っても仕方がない。今自分がするべきことは、先輩が戻ってくるまでに少しでも一人前の社員に近づいておくことだ。
「じゃあ早速始めていこうと思うんですが──」
「あの、その前に少しいいですか?」
「……はい」
話を遮ると、新任の先輩は見るからに嫌そうに顔を歪めた。なんて嫌味ったらしい人なんだと気分が悪くなったが、それはもう仕方がない。今はこの人が自分の教育係なのだから。
相手が誰であれ、今自分がすべきことは変わらないのだ。
「さっきまでしていた作業に関して、共有しておきたい点がいくつかありまして」
「…………はい」
相変わらず嫌そうな顔だった。だが、そんなことは関係ないのだ。
「報告が四点、連絡が一点、相談が六点ほどありましてですね──」
入社してから早くも二冊目に突入したノートを広げて、私は今日も邁進していくのだった。

7/31/2024, 2:26:09 PM

先に結婚した同級生から、夫婦仲や子育ての大変さを聞くたびに。
恋人持ちの友人から、しょうもない痴話喧嘩の話を聞くたびに。
知人から、その知人の友人の愚痴を聞くたびに。

あぁ、自分に普通の人付き合いは向いていないのかもしれない、と。

毎度のようにそう思う。

気が合う友人は数人居る。その数人はとことん気を許せる関係だし、不満があれば直接言い合える。そんな関係がもっとたくさん居れば……と思うこともあるが、これ以上増えたら、きっと自分は増えた分の人数と疎遠になるような気がする。
知人のように誰かに愚痴を言いたくなるような存在を友人とは思いたくないし、たとえそんな関係でも友人だと言うのなら、私はやっぱりこれ以上の友人を望まない。

夫婦の話をすれば、そもそも自分には恋人すら出来る気がしない。
人と関わることには消極的なくせに、人の感情や思考については人一倍敏感というこんな擦れた自分が誰かと四六時中一緒に居ることなんて、きっと無理だ。

……だから、私は一人でいいんだ。

言い聞かせるように頭では思うくせに、それを口に出して言えないのは、きっと……

7/29/2024, 9:59:37 AM

子供の頃、祭りの屋台に並んでいるチョコバナナが大好きだった。
家族で祭りに行くたびに、親にチョコバナナをねだっていた。

そんなある日、母が自宅でチョコバナナを作ってくれた。
屋台で売っているものよりもチョコとチョコフレークが気持ち多めにかけられていたそれは、当然味も屋台のものより美味しく感じられた。
……しかし。
私の表情がぱっとしないことに気付いたのだろう。母は「美味しい?」と訊ねてきた。
私は「うん」と頷いたが、きっと味気ない態度に見えたのだろう。母は「そっか」と笑ってくれたが、それ以来我が家でチョコバナナを作ってくれることはなかった。

あの時なぜ自分はガッカリしたのか。今だからこそ分かる。
きっと、特別であって欲しかったのだ。
自宅で作れることも、なんなら、屋台の物より良いものを気軽に簡単に作れるなんてことを、知りたくなかったのだ。

酷く自分勝手だったな……と、子供ながら母に悪いことをしてしまったなと、今になって反省した。

7/25/2024, 9:29:24 AM

家が近所で、幼稚園からずっと一緒だった友人が居る。
多少の喧嘩はあったけれど、どれも変に長引いたりすることもなく、毎回どちらからともなく謝って、すぐに仲直りしていた。
僕らの仲の良さは周囲からも認知されていて、それを褒められてもからかわれても、僕はどちらも嬉しかった。

その当時、僕たちは特別なんだと、たぶん二人ともが本気でそう思っていた。



高校を卒業して、僕たちは同じ大学に進学した。
同じアパートに住んで、よくお互いの部屋に泊まったりもした。
大学生になっても僕たちの関係は変わらずで、むしろ一緒に居る時間が増えたことで関係はより一層良いものになっていた。

きっと、こいつとは死ぬまで付き合いを続けるんだろう。

そんなことを思い始めた大学三年の春頃、僕たちの関係に変化が生じた。

「……俺、会社作りたいと思っててさ」

いつものように僕の家に泊まりに来ていた彼が、缶チューハイを片手に気恥ずかしそうに言った。

「え、いいじゃん」

無意識に漏れていたその言葉は、紛れもなく本心だった。彼の夢なら応援したいと思ったし、手伝えることならなんでもしてやりたいと、本気でそう思った。

「それでなんだけどさ……」

彼は、僕も一緒に会社のオーナーをやって欲しいと頼んできたのだ。
突然のことに迷いはしたが、特にやりたいこともなかった僕は、その場で首を縦に振った。
僕の返事に、彼はそれを噛み締めるように喜んでいた。見ると、目尻からは涙が溢れていた。
二十年以上彼と過ごしてきたが、こんな喜びかたをしているのを初めて見た。引き受けて良かったと、僕まで嬉しい気持ちになった。

「じゃあ、今日は決起会だ」

バシッと彼の背中を叩いて言うと、彼は涙を溢しながら笑って、残っていたチューハイを一気に飲み干した。

それから、今後のことについて朝まで語った。
話せば話すほど僕たちの間には希望が満ちていった。
無敵とまでは言わずとも、僕たちならどんな困難でも乗り越えられると、本気で思っていた。



しかし思い返せば、その瞬間が僕たちという存在のピークだったんだろう。



在学中に会社を設立し、大学卒業から本格的に力を入れ始めた。
それから、二年も経たない頃だ。

僕と彼は呆気なく離別した。

理由は単純だった。簡単に言ってしまえば、価値観の相違というやつだ。
感覚的には、バンドの解散などでよく聞く方向性の違いというやつに近いのだろうか。しかし、正直自分たちはそんなものとは無縁だと思っていた。

彼と距離が出来てしまった今になって、ようやく視野が広くなった気がする。
お互いの許せなかったこと、譲れなかったこと。今までありもしないと思っていたものが、たった二年で数えきれないほど出てきた。
しかし、それらを思い返せば、『なぜ許せなかったのだろう』と頭を抱えてしまいたくなるほど些細なものばかりだった。

『近しい人とビジネスをするのはやめておけ』
『友達と一緒に仕事をするのは大変だ』

会社を作る前から、似たような警告を他にもたくさん聞いてきた。しかし、自信があったのだ。僕たちなら絶対に大丈夫だという、根拠のない自信が。

「はぁ……」

深いため息が漏れる。自分たちで選んだことなのに、想像以上にショックでつらかった。
大学在籍時、教授らから卒論に総ダメ出しを食らったことがあるが、あんなものとは比にならない程のつらさだった。
それはそうだ。これはいわば、二十年以上続けてきた研究を否定されてしまったようなものなのだから。

「……っ」

また吐こうとしたため息を堪えると、今度は目頭が熱くなってきてしまった。思わず手の平で目を覆った。

「はっ……」

今度は湿っぽい息が漏れた。それも堪えようとしたが、すぐに嗚咽に変わってしまって、もうどうしようにもなかった。

「うっ……うぅ……」

溢れるものを止めようとしながら考えていた。

誰かに教えてほしかった、と。

知らない方がいいことがあることも、近すぎると壊れてしまう関係があることも、なんとなく知っていた。しかし、だったらどうすればよかったのだ。
『やめた方がいい』は飽きるほど聞いた。しかし、『こうすればいい』とは、ついぞ一度も聞くことがなかった。


誰か教えてくれ。

僕たちが信じて疑わなかったあの感情は、友情ではなかったのか。

誰か教えてくれ。

友情とは、近づきすぎると壊れてしまうようなものなのか。
だとしたら、そんな簡単に壊れてしまうようなものが、本物の友情なのだろうか。

誰か教えてくれ。

……僕たちが過ごしてきた二十年は、なんだったんだ。

7/22/2024, 9:59:42 AM

「今一番欲しいものはなに?」
そう聞かれると、どうにも即答出来ない。

理由は分かっている。無欲だから、ではない。

むしろ、欲張りなのだ。

あれもこれも欲しいと思っているからこそ、一番と聞かれてしまうとあれもこれもと迷ってしまう。

しかし、同時に思うのだ。

欲しいと即答出来ずにいるあれやこれらは、本当に欲しいものなのだろうかと。

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