まって
気付かれる前に消えてるから
あまり言われた事がない
面倒だと
無視するか
別の人に任せる
待って問題がない事だと
平気で人に譲り気味
無くなったら別のモノを探すし
大概は無くならないもの
人との機会はタイミングがあるけど
普段行う事には限りはない
買い物とか散策などは急いでいないから
待てない物事がある
その時である必要はない
忘れたつもりでも思い出す事になる
待っても仕方がない
別の機会に別の誰かが応えてくれるはず
待つのは
待っていられる相手くらい
待って居る間に応えて方は変わるから
その時にしか選べない言葉がある
ある程度に関わる人らには
それなりに待っている
終わったらほぼ必ず会わなくなるんだよね
まだ知らない世界
何も知らなくても
凄いと感じてしまう
そんな世界は身近にある
誰もがその手に持っている
その世界に入るのには
入り口程度なら十分が過ぎる
世界がある場所には
常にその身その心がある
その手にあるモノよりも
その身にある事が重要なんだと思う
知っている事でも変化してくから
知っている世界も違ってるんだろうね
手放す勇気
勇気はいらないよ
勇気と表現しているだけ
習慣の問題で
その習慣をしばらく辞めてから
後で手放すかを決める
勇気って言葉が重いんだよ
一時的に手放すのは強制的に出来る
入院とか職務とか可能な状況があると思う
やり続けている物事の方が特殊で
ほとんどは必要に迫られないとやらない
興味があっても
キッカケがないと中々に重い
やるのも
やめるのも
手放すって事は
また掴めるって事で
勇気ってより気付きに近い
なくても平気だって判る事だった
手放すのは自分に対する許しなんじゃない?
1つの愛だとも思うよ
もちろん、手放せない事も含んでます
光輝け、暗闇で
光は輝いてる
何処にでもある暗闇の中で
輝こうとして
輝けるモノじゃないと思う
輝いてるモノが輝きで
輝いてる所に暗闇もある
光を映すのは闇ではなく
闇と光を見ている私達がいるだけ
個性は自ずと作られていくモノで
自らに完成はない
完成までは言わないまでも
それが個性だと思い込んで不自由しない様に
揺らめいても
闇が輝かせてくれる
光が個人なら
闇は多数の個人で
闇の数だけの光があるくらいな感じ?
酸素
んー
大気中に含む元素の1つ
酸素だけだと毒
あくまでも人体にとっては、かな?
ゲームとかアニメで
言われてたから知っただけ
酸素って問われても考えた事がない
色んな場所に酸素がある
植物が二酸化炭素を酸素にしてるはず
二酸化炭素がないと酸素はない
社会と個人から発生する副産物
社会がないと個人はない
だとすると酸素は個人側だと思う
活力でもあり毒でもある
酸素は選べないけど
個人なら身を置く場所を多少は選べる
毒も少々なら薬だけど
毒しかない場所だと害悪
毒を集めて濃度を上げられても困るよね