君と
君と違って
誰とも同じではないから
君がそれで良いと思ったなら
それが君の責任だと、私は考える
責任は取れなくても
責任は伴う
誰にでも責任があるものだよ
選挙があり
選挙でどちらかに票を入れても
選挙でどちらにも票を入れなくても
選挙なんて知らなくても
国民であるからには責任がある
私はみんなと違ってるけど
私にも君が選んだ結果は伴われる
それでも君の自由だと思うし
それが君の考えた結果だとは思わない
1番の理由は考えれる範囲には限界しかない
あとで君が結果から問われだけ
どの様な団体でも
ほぼ同じ様な結果になる
結果は単純化しただけの表層に過ぎない
空に向かって
ほんの一瞬だけ
太陽を見つめては目を逸らす
空を通り過ぎた
そんな場所にいるのに
空と共にいるみたい
空は何も知らずに空でいる
知ってはいても空がある
理由なんて何も関係がないかのように
はじめまして
所属もないし
名前は覚えなくてもいいよ
そんなには会わないだろうから
あまり気にしないでね
無理に仲良くする必要はないと思う
仲が悪くても必要なことは最低限の妥協で
仲良くはするのではなく
仲良くなるモノじゃない?
お題的には
入学や入社かな
同じ場所に通っても
別に機会がなければ気にもならない
それなりに続けれる関係があれば何よりです
またね!
通わないとない
次の機会で良いと思うなら
割と...どうでも良い事だから
通う 通われる
このどちらもないと忘れさられる
忘れてはいないけど
優先順位が低い
大体は次の機会があったとしても
別れるまで思いもしない
あえて触れていない可能性が割とある
あえて言うことって
次の機会がなくても良いって感じてるかも?
私としては、またね?で
強調するくらいなら機会は任せる
春風とともに
お題とは関係ないけど
慈悲喜捨が生老病死と重なってる
慈しみに生まれて
老いて悲しむ
喜びが病気の元になって
死とともに捨てる
チグハグだけど
いくつかの内の1つとして
お釈迦様が天才なら先に悟りがあって
悟りを伝える為に後で教えがあるのでは?
自らに悟るだけなら
言葉の説明は要らない
悟らなくても
生老病死は誰もが通る道で
悟ったなら
生老病死を慈悲喜捨と看做すのかも
健康で有ろうとすることが目標なのかもね