鏡
かがみ、ね
んー
映すも覗かないとない
しかし見られなくても映してる
そこにあるものを
映らないものもあるはずで
全てをありのままには映せない
ありのままなんてものはない
姿形は同じ様だけど
中身まではわからない
見ているものは人により違うから
見ているところも違う訳で
何処を映すかによってモノが違っていて
違っていても同じモノでもある
言葉は鏡と言うけれど
言葉を同じにしても違ってる
結局、映るのはその人なんじゃない?
いつまでも捨てられないもの
ずっと持ってない
一時的にあるくらいで
別に捨ててはない
元の形で手元にないだけ
捨ててなくさせれるものなら
捨てたらいいけど
なくなったりはしない
そのモノは違っていく
いつまでも同じではいられない
誇らしさ
誰でも無いこと
何を目指すにしても
自分で
拘りとは違って
あるようにあるだけのモノ
無理に誇ることで
私は頑張れないから
事柄が示すことになる
どんなに偽っても
隠れれはしない不確かな像
驕りとよく間違われてると思う
その人にとって
多分、特別なモノではなくて
普段から割とよく現れてる
方法や手段よりもまず先にあるモノ
夜の海
真っ暗で苦手
明かりがあると違う
でも暗くない方がやらかす
時々転びかける
気をつけてない普段の道で
海は嫌いではない
特に好きでもない
遠くから眺めるくらいで良い
夜も朝もなく
ただの海はある
満ち引きがあるのは海にではない
海以外のモノ達にある
満ち引きも海そのモノだから
夜も朝も海には関係がない
私達、人間には関係あるんだけどね
一応は私も人間なので
でも一般的な人間
それからはハズレてるはず
でもそれは
私の問題ではない
あと同じになりたいとも思わない
そんな考え方がまず間違えてる
何かになりたいなんて
全く考えていない
やりたいことはあるから
やれるようにやってるだけです
夜の海は
何処まで行っても
海のままで何処までも行く
自転車に乗って
基本お出掛けは徒歩かバス
仕方なくなったらタクシーで
自転車は持ってないし
買う予定もない
貸し出しの自転車がある
当然有料ですが高くはないかな
危ないから乗らない、私も他人にも
あまりルールは守られていない
歩道にいたり逆走だったり
歩行者も同じで
私も守ってはいないかな
明確に分かれてないからだろうね
場所にもよると思う
都会では守られてたような
そんな気がする
それに守ってもいた
気がつければ判るから
不便もないし正すしかない
もしほぼ適応させたいのなら
ルールもだけど
街ごとの仕組みが必要で
それにはスペースが足りない
歩道と車道だけじゃ
自転車には足りてない
どちら側でも結局は危ないし
実用的ではないよね
裏側だとごちゃ混ぜ
優先されるのは基本的に歩行者で
簡単に言えば弱者側
弱者だからって
先を譲らない理由はない
少しくらいの誤差は計算内だから
普段から急いでないから
お先にどうぞで円滑に進むなら
それでいいと思ってます
自動車を運転してる人は
目に付くと思うけど
お互いが気をつけるしかないよね