梅雨
雨が降り
雨で止む
豊かさを連れてくる
夏の始まり
雨と太陽が
実りを育む
そんな秋の手前
憂いても
嘆いても
雨が流してくれる
清めてくれてるのかもね
無垢
を、調べると
煩悩から離れて
穢れがないこと
だって
仏教用語だったようです
先に煩悩があって
後に煩悩から離れて
今は穢れがない状態
煩悩はなくならない
煩悩から始まってる
煩悩だと遠ざけてるだけ
煩悩だからと制してる
煩悩ありきな考え方に見える
先に悩みがあり
故に悟ったのだから
前提条件に含まれてる
煩悩で身体が支配されていて
その悩みから離れて
悩みがないと知ること
悩みが欲で穢れなのかもね
欲から悩み
悩みから離れて
欲と悩みを分ち
実がないと知り
己を案じ
身に委ねる
生老病死が生きることで
出来るだけ病まないように
己が身を制すること
無垢であることに
特に意味はない
そんな気がするけど
穢れは先にあり
その後に無垢となる
これだと生死
生があり
老いていき
病になり
死んでいく
生死の狭間に
老病があり
生病もあり
いずれ病死に至る
これだと死生観ぽい
仏教は悩まないように
悩みで病まないように
健全に生きて
健全に死ぬことが目標かな
産まれは無垢で
生きて穢れ
穢れから離れ
生きながら死を待つ
生も死も
同じなんじゃないかな
達してしまえれば
どちらも己にはなく
あると共にない
一時の状態に過ぎない
それでも確かにある
仏教自体がまず悩ましいなぁ
終わりなき旅
輪廻転生
物質的にはある
長期的でみたら明らかに
精神的にもあるけど
生きていると気がつく感じ
この身体には
間違いなく終わりがある
生とは死にゆく道で
死が終わりとされている
その先を知らない
少なくても体験していない
抜け殻を見はするけど
人間の死で印象に残ったのは
曾祖母の死で
不思議だった
よくわからなかった
死がではなくて
棺に入っているのが
寝てる間に脳卒中で逝ったらしい
いい死に方だと思う
父親の死に立ち会わなかったけど
何故やっと終われるのに
抗うのか不思議だと思ったり
母親に死んだらどうなるかを
何故か聞かれたりもした
闇に帰るだけと応えた
何故そんなこと知ってるの?
回答は無言である
どちらも問題がある人で
その親も問題があって
子供らも問題だらけ
だからなんの不思議もないくらい
当然の結果だと思ってる
家族が異常
なのではなくて
私が外れてるだけだと思う
問題があるのなんて普通だから
家に限らずに
何処にいても
似た様な課題があって
その課題は常に私の課題ではない
いつのまにか加害を受けるだけ
奴らの弱さだと思っています
おそらく奴らの弱さが
互いに一致してるんだろうね
機能してる集まりなら
誰かがそれとなく注意するからね
「ごめんね」
何にだろう
あやまる必要はある
謝ると思えるなら強者かな
誤れても別にね
いつものことなのです
自分で誤り
自分に謝る
気がついたなら
これから出来ることもある
これまで出来なかった
それらに挑戦も出来るはず
少しずつでも
試していると判ると
割と簡単に許せたりする
ほとんどのことは
正そうとしてる姿勢で
仕方なかったのかもと思える
だからこそ
私が無理だと決めて
行動に入ってしまえば
その性根ともども滅する
その時が来たら容赦もなく
いつもその後に関心がない
決めてる自覚が薄くて
刺すまで忘れ気味だったりする
最終的には私に悪くない
そんな結果が待ってる
何故そうなるか私は知らない
やってしまうだけです
あらかじめ自覚があると
結果まで時間が掛かり気味
半袖
半分も袖がない
着物ならあるはず
要するにシャツの基準ではない
しばらく離れたら
色々と忘れてる
感覚や記憶が喪失中
ビックリしたよ
あまりの覚えてなさに
ゲームの話です
懐かしさから
やってみたんだけどね
それで思ったのが
ちょっとでも続けている
そんなことが大切ってこと
ほとんどを忘れたなら
もう一回、覚えてもいいかも
忘れたからこそ、得れる
そんな感覚があるんで
他で違う部分が鍛えられてて
役に立つかもしれない
ゲームの話だけでもなく
懐かしさから
古さに流されず
真新しさを掴めれば
確かさがます
新たなことって
過去からの生産だから
続けているだけでは味わえない
続けてたからこそ
手に負えないこともある
とも思うけど
その場合は辞め時かも
続けることに無理はしない
遊びの範囲でなら
辞めたからって無くならない
何処かにはある
何処にあるのかは判らんけど
半袖も長袖も
同じ所に閉まってあるので
忘れたりはしない
あまり服を持ってないから楽