イルミネーション
一般的にはおそらく
クリスマス一択だろうね
見に行ったことがない
機会もあまりない
都会にはあるらしいくらい
ちょっとした奴なら
そこいらにあるんだけど
これといった考えはない
デコレーションの光版みたいなもん
ユダヤは待ち
キリストは終わり
イスラムは更なる始まり
これらは同じ神を信じてるらしい
選ばれては救われ
数が増えると滅ぼされ
滅ぼされる中から選ばれて
また数を増やす事になる
神が全てを作って決めてるなら
神の壮大な自作自演だよね
始まりから終わりまでもが神で済む
この道中を眺める人がどう思うか
これくらいしか自由がない
自由とはおそらく宗教の選択
始まりはユダヤ教であり
神が人も作った
人は神を背き
神は人を追放した
それでも神は人を試し
人は神を信じている
神は人を自由にしては
いくたびも人は神に逆らい
神はそのたびに人をくだしていく
ここで言う人とは唯一ユダヤの人々
ユダヤ教の中から
キリストは生まれた
神の御霊によって
ユダヤ教の救世主とはキリスト
しかしユダヤ教はキリストを殺した
神はキリストを復活させ
キリストの使徒はキリスト教を
ユダヤ以外の人々、世界に広めた
しかしキリスト教もまたも分たれた
最初はユダヤ教の中
次はキリスト教の中で
そして神は更に
他の世界にイスラム教を伝えた
だがイスラム教も分たれてる
神は絶対であるのに
何故に信仰を求めるんだろうね?
さておきまして
これらを背景に考えると
災いの元は神にのみあると私は思う
神が作った人は
争う生き物であった
あくまで全体的にはだけど
だからそうではない人を
神が求めている
人を救いたいのではなくて
神は人に救われたいのではないか
間違えも多分にあるだろうから
鵜呑みにはしないでね
どの聖書も人が作ったものだからさ
愛を注いで
愛とは違うかな
主に注いでるのは時間
スプラ、テトリス、原神
スプラは潰えそうだけども
来シーズンまでは辞める予定
そのまま辞める可能性が大でもある
テトリスはこれから次第
パフェやテンプレを覚え中
テトリス99を勧める
原神は継続はしてく
おそらくは辞めないけど
マップやシナリオ更新
これがないと聖遺物厳選くらい
他はアニメは気になれば見る
麻雀はたまにはやる
漫画は新しいの買う気にはならない
ホロウナイトは神の家から逃避中
読書はちょこっとって感じ
あとカメラが少し気になるなぁ
ゲーム配信は見なくなってる
Youtubeは暇潰しにってところで
Youtubeで見てる動画は
歴史、宗教、時事ネタ、音楽
などなど割と幅が広いかも
基本的にはiPad miniで
ゲームは任天堂Switchライト
スプラだけは任天堂Switchの有線
愛ではないと思う
今日発見した良かったのは
Youtubeのウクレレ演奏が凄かった
曲はアニメのとかだけど
書く為の趣味って全然意識していない
だけど繋がっているんだろうな
心と心
KOTOKO
何曲か持ってるはず
ハヤテの如く
この漫画わかり易いくらいに
一つの技法で描かれてる
その割に全然楽しめる
それが気にならないくらいに
よく描ききれたなって思ってる
別に買い直してまで読まない
読まないだろうとは思う
楽しめるものってあまり飽きない
飽きるのは視野が狭いのかも
飽きても書けるよ
でもそれを読ませ続けれる
これってやっぱり凄い
ゲームや小説などは
いかに何回も読み直したいか
または一撃必殺
このどちらか強力
ギャルゲーだと
一撃必殺ならAIRで
繰り返しならDC2など
私は基本的には繰り返す派
もう一回読みたいと
何度も手を出せる方が好きです
心と心
心のもと
心がままに
心と共にあれ
心とは決して感情ではない
心とは決して状況でもない
では心とは?
何事にも変わらない何か
あなたそのものではないかと
私は鑑みてみることにする
何でもないフリ
なんでもあってもフリはする
人間はそのままにない
ありのままなんて滅多にないはず
それはあまりに無防備だと思う
でもフリをする余分があるってこと
余裕がないと溢れ落ちる
ただそれは全てではない
いままでの欠片も含まれている
それに全てを曝け出せても
見方はそれぞれで解釈の一致は雑になる
統計と個人は必ず一致はしない
あとフリによる見破り方は存在する
あくまで傾向に過ぎないけど
騙せていないからこそ繰り返すのかもね
効果が薄いからこそ
中毒になるのではないかとも
軽いタバコだと数量だけが増える
強いタバコだと数量は減る
1番効果的な吸い方は
我慢しつつ、1日一本だったりする
禁煙を1週間ほどしてから
久しぶりに吸うと脳暗する
キツめなタバコだからかもしれない
効き目があるように
何事も楽しまないと無駄になる
仲間
人の中の間
人間の中ってこと
仲間でないこともない
関係がない
無関係でもない
そこにある誰かではない
括り方の問題で
仲間は外部から見た関係で
仲間は内部からは観測されない
この内外は個人が有する
仲間を内部で誰かにかざすのなら
それはただの同罪であり免罪符
イジメがある
これをイジメだと知る
でもそれらが何であったとしても
全体的に行われている
被害者から見たら全員が加害者で
加害者から見たら全員が加害者
この全員には差がある
これがわかり易い仲間なんじゃないかな
私は全員が被害者ではなく
私が全員を加害者とする訳でもない
ただ明確に弱い奴がすること
弱くないとする必要がないと思う
何かを巻き込まなくてはならないなら
個人ではそれが出来ないことになる
要はそいつ独りでは何も出来ない
たった1人を相手に
架空なものを振るう様は無様で
私は何が相手でも堂々と自分を奮うだけ