柔らかな光
朝日が1番に浮かんだ
あまり拝んでいないのに
なんでなんだろう
あとは月とか
最近は街灯も柔らかくなってるね
特殊なところでは
早朝の月
柔らかいってより儚いかも
あまり使わない表現な気がする
柔らかい
アニメや漫画だと
ARIAの水無灯里の表現
元来は原作よりなんだけど
この作品はアニメをお勧めします
最近はアニメでしか見てない作品が多数
ほとんど原作まで手が伸びない
原作を買ったあたりだと
New game
ご注文はうさぎですか?
未確認で進行形
ヲタクに恋は難しい
アニメは1話限りで漫画がありなのは
金色モザイクくらい
こうやって書き出すと古いな
アニメでだけなら
書き出すのが面倒なくらいある
ゆゆ式
あっちこっち
ひなこのーと
ゆるキャン
などなどが良かったかな
柔らかな表現っていいよね
ズレてないのにぼんやりしてて
それでいて刺さるからかも
原作は買ってはいないけど
オープンニング曲は買ってあったりする
柔らかな光はない
柔らかさは物体にある
光はそのまま変わらないものだと思う
光そのものにはない
その柔らかさが
光を通して伝わるのかも
言葉そのものに感情はないのに
感情が伝わるのに似てるのが判り易いか
まぁそうゆうものなんじゃないかと
鋭い眼差し
そう思ったことはないかも
眼が悪いだけかもよ
眼差しもあまり感じないし
何かなって思う程度
たまにビックリされたりはするかな
何をビックリしてるのか解らない
特に何も言われない
だから通り過ぎていくだけ
悪口や陰口なら聞こえてますよ
思うのは勝手なんだけど
判らないようにいいなよって思う
実害が出たら対処はするよ
己の愚かさを思い知るといい
他の周りにも聞こえてますからね
ほとんどはどうでもいい
無価値ですから
気分が多少悪いくらいな話
鋭い眼差しにより
思い当たることがあるなら
それなりに対処するしかない
対処するには素直に聞いた方が早いよ
勘違いだったりしたら面倒でしょ?
気持ち悪い視線なら近寄らないだろうし
高く高く
何処からどうみて高いのか
地面からだろうけど
地面は低いのかね
基準はそこからであって
高さも低さもここから見ている
海は深いし広い
空は広いし遠い
地球の空より向こうに宇宙はあるけど
地球の外側にしか宇宙はない
では地球は低いのか高いのか問題
そんな考えは置いとくとして
高さは高くけれど限界がある
どんなに高くても高いから無理がある
無理ってか無駄と言うか
無理なのも無駄なのも他人である
200㎖コップならそれ以上は入れれない
ギリギリなのもよろしくない
7〜8割くらいが丁度いいと言われている
人間の正確な容量が解らないから
分量がどうにもならない
それで掴めなくても全体的に見れれば
その視点から脱出出来る
情報が多いのではなくて
見ようとしてる視点が細かいんじゃない
細かいとこはある程度は
他人に任せてしまうしかないよ
あなたはそこから何が見たいのか
ここが重要で
その為にどう見て見るのかだと思う
高さなら登り方があるはずだよ
子供のように
子供のようにと
懐かしみ羨むなら現在を生きましょう
大人も子供ようなもの
子供には子供の制限がある
大人には大人の都合がある
大人だからこそ
子供のようになんだろうけど
子供にはなりたくないでしょう
子供になれたら大人のようにになるのか
現在に対する不満なら
未来に向けてやれるようにやりなよ
子供には戻れなくても
大人だからこそ出来ることは多い
これからがあるんだから
なれないものを目指しても仕方ない
いまからできる事をするしかないと思う
放課後
学生に限られてるね
思い出してみるとしても
ほとんどは即帰宅
道中はあるにしても
バスか自転車だったはず
学校周りに店はある
週刊漫画を買ったりしてた
あと駄菓子など
基本的に帰宅までが放課後なのかな
だとしたらそこで終わってる
帰宅して稀にバイトがあったりもしてた
学校の先生にバレたりもした
その後に何も言われてないんだけど
帰宅後は何してたんだろう
えーと、ゲーム漫画アニメあたりかな
特になんの制約も受けてない
そもそも不要につき相手にしてない
親と弟妹
無理して無視したりもしてないけど
そもそもが別グループだから
向こうが必要としない限りは関わらない
学校も自分の中では行く予定はなかった
高校生になる予定ね
辞めようとしたりもしたけど
反対されたし行きはした
ただしかなりサボってはいた
中学生3年のどこかから
塾に行かされた
数学だけしかしてない
英語は投げられた
その勉強だけで
高校2年くらいまで困らなかった
赤点が2教科で、あとはギリギリ
その2教科は英語ですがね
高校3年の記憶があるのは
ほとんど前半を寝て過ごしてた
簿記とpcの授業が追加されてたはず
1番驚いたのは
風邪気味の時に先生に気が付かれたやつ
多少ならバレたことないんだが
判る人には判るみたい
その放課後の帰宅が自転車だったから
長い道のりでした
放課後は特別ではないと思う
ただの学校の終わりからの帰宅への時差
何処にいたって拘束はされてはいる
それが自分か他人か世界かって話
自由とは色々な拘束によって許されてる
その範囲にとどまっているんだから