過ぎた日を想う
過ぎてはいない
想うことはない
今から見てどうだったか、その程度かな
どうせ元から相手にもならないよ
元々相手にもしてないし
ただ終わらせる日はくるだろうね
それがいつ訪れようとも
なんの足しにもならないような気はする
終わってからしばらくして
やっと気がつくんじゃないかな
誰だか知らないけど
その誰かが終わっていくだけで
私にはあまり関係がない
その手段からみて
はなから勝ち目がないって知ってるはず
勝ち負けなんかよりは
自分が自分をどう思えたかで
これから先が決まる
その先が終わってるって
もう既に物語られてるんだから
どう想うかなんて意義がない
私には私のこれからがあるだけである
私のこれまでの過ぎた日を
どう想うかって?
きっと同じことをすると思うよ
星座
夜空のは
ほぼ区別が出来ない
最近は見てない星座占い
ぼっちざろっくに
星座になれたらって曲がある
星座にはなれない
それを星座と捉えてるのは人間だけ
知ってはいても
星座の名前と一致しない
想像力が凄くないかと今更ながら思った
なんで名前をつけるのか
それは人々と共有する為だと思われる
でもほとんどは共有されてない
その界隈だけに限定されてて
ほとんどの人には判らない
こんなところだけはどの分野も似ている
よくは知らないんだから
同じ様にみえてしまう
こればかりは仕方がないのかもしれない
踊りませんか?
即答で踊りません、結構です
これがただの踊りなら
生きていて何かしらに乗せられて
踊ろうとして踊っている訳ではない
必要ないって知らないんだと思う
踊って得をする人がいる
同じ踊りでも人によって違う
これが挑戦しませんかなら
勝手にやってるから
ほとんどは余計なお世話だよってなる
知ることは必要でも
必ず使う訳ではない
出来ることでも知っている訳じゃない
説明が出来たとしても把握はしてない
iPhoneとか未知じゃない?
ちょっとした操作が出来る程度では
そもそも踊りませんか?って
ほとんど選択肢がない
誘われている時点で参加してる様なもん
踊っても踊らなくても
そんなに人は人を観てないから
気楽にしてたらいい
よほど迷惑をかけない限り
その迷惑だって
ただのごく一部が騒いでいるだけ
数や勢いに騙されても
我に帰れるなら
コントロール出来るようになる
違うって認識が
違いを認識する方法
なんでも一緒にしたら駄目ですよ
一緒に踊ってはいても
それぞれ別々なんですからね
一緒に踊りたい相手になら
合わせてみるとは思う
これをコミニケーションとも言う
相手に判って貰えるように
徐々に簡単にしていくしかない
巡り会えたら
巡っていく
ずっとはいられない
出会う度に違っている
会っては、すれ違い
違っては、巡る
きっと同じ様にはいられない
2度目はない
同じように巡っても
同じようで違っている
巡り会えたと気づけるといいね
ほとんどは遅れて気がつくこと方が多い
そこからがスタートライン
さてあなたはどうしたいのかな?
奇跡をもう一度
奇跡を願ってもいいけど
起こらないことも覚悟しとかないと
その奇跡が
奇跡だと思えただけで
ただの必然かもしれない
奇跡が偶然だとして
奇跡の再現を出来たら
それはもう当たり前の現象になる
奇跡ではなく確率なら
試せるだけ試すしかない
試さないと起こせない
チャレンジしないものには何もない
でもほとんどは何もない
何もないからこそチャレンジするのかも
その奇跡ってのが
どれだけのものなのか
私にはあまり想像が出来ない
案外ちゃんと調べたら
実は奇跡ではないのかも
ただ何も知らなかっただけで
それは常にそこにある
既にここにあるように
ただの視点かもしれない
奇跡だと思えたことはどんなこと?