風に身をまかせ
風にはまかせないけど
身にはまかせるしかない
身あってこそ
風をある程度コントロール出来る
風にまかせると流されていくだけ
身あってこそ風に向かえる
無駄に逆らう必要はないと思うよ
ただ風に乗るなら
その判断をしたなら
風から降りるときの判断は考える
風にまかせるんじゃなくて
風を選ぶ側にならなきゃいけない
風から降りるなら
同じ風に乗ってる人達を
ちゃんと観察しないと駄目で
出来るなら他の風も観察しときたいね
身が無理せず
風から降りられるタイミングがあるはず
多少の遅れはなんとかなるから
焦らずに身をコントロールしましょう
風まかせは嫌いではないけど
風にまかせれる身がないと
叩き落とされるから気をつけましょう
身を過信しないようにね
おうち時間でやりたいこと
内外の区別はあまりない
出来ないことならそれなりにある
特にオンラインゲーム
原神 スプラ3とか
主にゲーム関係と
ダウンロードが必要になるやつ
逆に外じゃないと出来ないことって
コスパが悪すぎるし
天気や電波に左右されるから
安定して出来ない
外で余裕があれば行ってみたい場所なら
それなりにはあるけど
交通費飲食費などなどある
普段出掛けるついでならいいんだけど
わざわざついでの為に出掛けない
最近行ってみて
お出掛けメインにしてもいい場所なら
図書館くらい
おうち時間でやりたいことって
ネットがメインだから
わざわざ外に出掛けてない
ネットでもお出掛けは出来るけど
手はだしてない
おうち時間に拘らなくても
いまやってるほとんどは外でも出来る
余裕があれば外も嫌いじゃないから
出掛けたくはあるけど
結局は
近場のコンビニに行くくらいになる
ちゃんと考えたら判ると思うんだけど
おうち時間のコスパが1番いいから
おうち時間にやりたいことってお題は
ナンセンスだと思うよ
ちなみに外で気まぐれに思い付き
書いてしまうのは詩で
ぼんやりのんびり出来る
人目があまりない場所が最強で
音楽流しながら本読みつつ
書いてしまったりする時もある
書き悩むだけなら
悩んだことを
ひとまずは書いてしまったらいいよ
子供のままで
子供になりたいなら
子供であればよくない
大人だろうが
子供だろうが
親はいるわけで
いなくても年長者はいるでしょ
それがいなくても国があるわけで
自分より強い権力もある
それらに全てを任せて
権利を自主的に放棄したらいいよ
子供になれたところで
末路は同じだろうけど
子供のころは
きっと大人になりたかったんだろうね
子供も大人も本当はない
人間としてならなおさらない
それは幼さからくる発想
現実逃避に過ぎない
子供のころには大人がいて
大人になれば子供がいる
子供のままでいたいって
大人が言ったなら
その大人は
ただ歳を食っただけの子供に過ぎない
子供になりたいって
思ったこともなければ
大人になりたいって
思ったこともない
なりたいものなんて何もない
なりたい職とかもでっち上げはしても
何もなかった
物心がついた頃には自分がいた
ただそれだけ
それでも狭い範囲だけど
選びたくないものは
選ばないようにしてきた
やってみたいことはやれる範囲で試した
ほとんどはよく解らなかった
いまでも解らないことだらけだけど
大人にならなければとは思わない
懐かしむのはいいけど
本当に望むなら
痴呆にでもなれるように
いまからでも頑張ってみてはどうだろう
愛を叫ぶ。
愛にも色々あるんだけど
まずは誰に叫んで
何を目指していて
何故叫んでしまったのか
叫んだ愛とやらは何をもたらす
それを聴いたものは愛だと思うのかな
愛だと思っていたものを叫んだところで
叫んだそのものは愛するものには
すでに愛ではなくなってるじゃない
愛が何かによるとは思わなくもないけど
何かを伝えようとしたら
それは変質する
その相手が決めていくことだから
それがどの様なものであれ
そのままの形には留まれない
愛を叫ぶって行為自体がただの迷惑
愛とは伝えるものじゃなくて
伝わるものなんじゃないかな?
その愛とやらに到達するまでは
それが愛だとは判らない
もちろん伝えようとするのはいいけど
何を愛だと思っていようが
叫ぶって行為は
叫んだあなたの為のもので
伝えたい誰かの為のものではない
相手に伝わるように伝えないと
それはただの叫んでるだけで
愛ではない
言葉も行動もそれそのものを表せない
伝えれるものはその相手のもので
あなたのものではない
探し出して貰えるように
色々やってはみても
それがどう届いてるのかは判らない
あなたに判るように
相手も伝えてくれたらいいね
モンシロチョウ
たまに見かけるかも?
それがモンシロチョウなのか正直不明
蝶は見かけてはいる
ただわざわざ
どの種類の蝶々なのか
区別することは出来ない
そんな知識もない
ぼんやりとでも判ればいい方
ググれば判るかもしれないけど
興味はない
そこそこ関係ある人の名前ですら曖昧
話せば区別出来たり出来なかったり
まぁ言い訳はさておきまして
蝶かって思うくらいでしかない
蝶と言えば胡蝶の夢くらいが妥当?
蝶になってる夢なのか
蝶が見てる夢なのか的なやつ
そんなのはその時には関係はなく
蝶にしろ人間にしろ
それなりに生きたらいいと思う
どちら側にしたって大差はない
蝶には蝶の
人間には人間の生き方があるから
夢か現実
それがどちら側でも
自分の意識があるのなら
それに従って生きてくだけだから
問題になるとしたら
その意識とやらは
本当に自分のものか?
それに尽きると思う
自我超自我イドどれによるものにしろ
自分とは何でもなく移り行く夢のよう
それでいて確かと思える自分
夢の現実 現実の夢
どちらにしても同じ脳が見てる夢
自分が見てる夢なら
自分は夢なのかもしれない
他者が居なければ
自分がなんであれ
何処にも辿り着けない気もする
自分とは他者と区分けする領域
聖域とでも言えば判り易いかな?
誰も正確に自己を認識は出来ない
他者や世界を通して
認識した何かでしかない
それでも自分として生きてく
ただなんとく
理由を明確に出来たとしても
そんなのは説明してもキリがない
価値がないとも思える
そんな説明よりは
自分に恥じることなく
自分を生きていきたいね
誰の為でもなくただ自分の為に