今までずっと、ずっと考えてきた。
それの結果がこれだ。
生きていても何にもならない。
正直、今まで何でこんなにも生きてきていたのか分からない。周りの人らが死にたく無いやら、健康診断に行こうやら、ちっとも理解できない。
確かに、死ぬ事は怖い。言っている事は何と無く判る。人間は哲学的な事はまだ根拠無き考察を広げる事しか出来ない。それが合っているとも、間違っているとも、残念ながら言い切れる権利を持っている人はこの世に一人たりとも居ない。
だから、その無限にある可能性の中から一つその答えを知る事が出来る。
充分良いと思うのだが、まぁこれを怖いと表する人も沢山居ることだろう。
だがその怖いと言う感情だけで、何十年も生きて行くなんて勿体ない。
生きていても何も良いことも無い。
皆この世に生まれてきて可哀想だと思う。
人間に存在意義も価値も無い。いや、生物みんなそうだ。人間だなんて私含め皆死んでしまえば良い。
生きていく事事態がリスクだ。
私はそう思う。人間は愚かで臆病者しか居ないものだから、見当つかない死後の世界についての恐怖心を誤魔化す為に神と言う存在を造り、法を造り、罪を造り、罰を造り、我ら人間を傷付ける者は皆悪者。と言う教訓を教え込んで来た。そうに違いない。
私は望んで死ぬんだ。
私の事を理解する人は居ないだろう。
私の考えてきたこと凡てを書いた訳では無いがもう良い。これを遺書として、今日にさよなら。
「今日にさよなら」
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書いた事は凡て本心ですが今から飛ぼうとは思わないので、なんも思う事は無いです
この世の、この世の人間全員を圧倒出来るような小説を書きたい。
文体には興味が無いと言えば勿論嘘になるが、
今の時代、文体が綺麗で美しいと言うだけの理由だと矢張り取り上げられにくいであろう。
文豪の太宰治のような完璧の文体でないと。
では小説に一番大事なのは何か。それは私にとっては矢張りストーリーだと思う。
ネット社会がトリガーになってきている今は、紙の本を進んで読む小中学生はかなり減ってしまっているだろう。
小説界隈の中で重要視するのは人によって違う。
勿論、純文学が好きな人が居れば、現代社会の非酷さを表した本が好きな人も、トリックを使った読者と筆者の頭脳戦を繰り広げるミステリ小説も。
世界には様々な本が数え切れない程存在し、
年々小説家志望は増え、取り上げられる小説はごく一握りとなってきている訳だ。
産まれたときからずっと文学について勉強してきた人ですら取り上げれない事もある。
50年後には小説家という職業は存在しない無いかも知れない。
それでも、私にとっての小説家は夢であり、唯一の希望であり、私の最終地点としたい地位である。
勿論文学にとって文章能力はかなり大切である。
幾らストーリーが面白く、魅力的でも、矢張り小説界隈を基準としたある程度の文才、知識、物語のもって行き方など無いと、まず読んですら貰えない。
それなりの勉強は必要不可欠であり、小説家という古い看板を目指すには避けて通れぬ道である。
太宰治の走れメロスは個人的に好きだ。
友情がなんたらと言う、今残っているデータ上の太宰治が本当にかいたのか窺わしいような教訓が見え隠れする作品だと思うのだが、何だろう。
矢張り私は人間失格のような己の人生をとんとんと語った作品よりも、言葉の裏を幾らでも会釈しゆるストーリーが好きだ。
まだ私には上手く表する事は出来ないのだが兎に角ストーリーが好きだ。勿論ストーリーの裏に隠れた教訓が其れを更に引き立てて居るのだろうし、美しい文体、綺麗な見出し、ストーリーの進め方。
凡てがとても良い作品だと思うが。
ここまで言って何が言いたいのかというと、何回も言うが人を魅了させ、鳥肌を立たせるには、多大なる伏線回収と、ストーリー展開の使い方が重要なのだと私は思う。
ストーリーが今の時代大事だとストーリー性無しで文体にも其処まで拘らず自分語りを此処まで繰り広げている私はどうやら小説家に向いて居ないらしいのだが、矢張り取り上げられる作品はどれも今話したような作品ばかりになってきていると思う。
私は今回の文章を作成するにあたって何回ストーリーと言う言葉を使っただろう。
これを見ている君は屹度私より年上だと思う。
文章を書く事が好きか苦手か。日記感覚で書いているかもしれない。私よりずっと勉強してきて、小説家デビューしている方かも知れない。
私が言っている事は間違っているだろうか。
今からこの界隈はどんどん退化していき、逆にネット社会はどんどん成長していく。
こんな浮き世で小説家になんてなれるのだろうか。
こんな生半可な娘が志し半ばで簡単に口になんか出せない。
もし私が20で新人賞に応募し、見事小説家デビューを果たしたとしよう。
東野圭吾や伊坂幸太郎、綾辻行人、湊かなえ、道尾秀介他にも数え切れない程沢山の名前の知られている小説家がいる。
これらの人たちの作品凡て面白い。ストーリーも短編も。だがその中でも矢張りデビュー作が一番面白く感じる。
デビュー作はその人の書きたい小説、ストーリーが詰まっていて面白い。
先程名を挙げた人達は名前だけでハード本でも何でもめちゃくちゃ売れるだろう。
あの人気作家の新作と言うだけで本屋の入り口に飾られる。
こんな状態で私の本は売れるだろうか。
屹度売れない。私が最高作品だと胸を張れる作品で新人賞に受賞したとして、今後それを越える作品はかけない。それどころか一冊目で売れなかった私の本はもう一度本棚に並べてくれるかも分からない。
小説家の道はかなり険しい。沢山の鍛錬が必要不可欠でゴールの看板が見え来た所で、その門は狭い。
なのにも関わらずその門の先を目指す者で前が見えない。もし門に通れたとして、それで食べていける保証は勿論無い。
私は如何すれば良いんだろ
もう生きたくない
この社会で私は生活できない
もう生きていけない。
辛辣過ぎる愛の鞭
一生鍛錬しても解けない魔法
耐えきれない。
君と見た花火
綺麗だったな。儚かった。
二人で撮った写真
後で見ると君が変顔しててめちゃくちゃ笑った
遭難しかけたキャンプ
スマホも圏外で死を覚悟したよね
水着を忘れた海
結局あれどうしたんだっけ笑めっちゃやけたよね
ビビりまくった肝試し
こけしが落ちてて本気で逃げたよね
飛べないで立ち往生になったバンジージャンプ
私が文字通り背中押してあげたよ笑
君が、思い切った声で打ち明けてきたとき。
あの時は絶望だったな、
楽しい思い出たっくさんありがとう
大好きだよ。また新しい思い出つくりたいな
待ってて。今からそっちにいくからね
私独りでは、この世界には居られないから
君がいたから私が居たんだよ。
お題「君と一緒に」
神が本当に居ると思いますか?
それと、神を信じていますか?
神が居るのかと信じているのかは似て非なるもので、違うものだと考えています。
昨日途端に考え出して、想い出す度に、疑問が生まれます。
私は絶対に神は居ないと思います。
皆、神は居ないと断定して、分かった上で神を信じるのです。
信じたがるのです。
人間は、責任者をほしがります。
自分が、何かをやらかしても、
あの人が自分に指示を出したからやった。
と言うと簡単に責任逃れする事が出来ます。
そうやって積み上げられてきた、
人間の波で好都合が押し寄せられてできたのが、神です。
人間はこの地球で最も賢いのにも関わらず、其れが故にぶつかり合う、愚かな生き物ですから、
哲学と呼ばれたり、地球の歴史と言われたり、
全然分からない。自分達はどうやって存在しているんだ?と言う不安感と、果てしない時間が神を造りあげてきたのです。
信じた方が好都合だから、信じるのでしょう。
ですが、皆そんな事言わない。
誰に聞いてみても、皆神は本当に居る。というような口振りです。
世界にとっての神、大地を造った存在が本当にあるとするならば、それは正しく、神と言えるでしょう。
ですが、人間が作り上げてきた、好都合の塊なのだとしたら
居ないのは目に見えています。
神社の巫女を勤めている私が言えた事では無いですが、
この世に神を本気で居ると考える人はどれくらい居るでしょうか。
人間以外、宗教の通じる生物は存在するでしょうか。
人にとっての神の価値観が違うため、否定はできません。
こんな変な質問をしていますが、
深く考えちゃ居ません。
難しい事も考えては居ません。
神を信じていますか?
神は居ると思いますか?
私も余りに幼く、綴りつづりしか覚えて居ないのですが
夜空に浮かぶ星の中で月が一際目立っていた夜の事でした。
私はまだ子猫だった頃だったものでしたから、
母猫が来なくなってしまってから、非常にひもじ
く、
ひょっとしたら餓死するのでは無いかと、
不安に駆られ、無闇矢鱈に声を出して居たのを覚えております。
暫くそうして居ると、遠くから足音が聞こえて来まして、
段々此方に近付いてきているようなのでした。
私は、自分の居場所をその者に知らせて良い物なの
かと本能的に、幼稚な心でその疑問の答を探していました。
その内に、此方に気付かれてしまったようで、
その者は、2本の足で器用に此方へ駆けて来ました。
その時幼いながら死を覚悟したのを印象深く感じています。
しかし、その者は当然の如く私を優しく抱き上げ、
懐から小さなパンを取り出し、地面に置かれました。
行動と見た目の違いに戸惑いつつも、飢えて死ぬ事の方がなんせ怖く、私は警戒などせず、遠慮なく齧りつきました。
直ぐに食べ終わってしまった私は、
(その頃はこの食べ物が何かも知りませんでしたが、)パンがもう一度欲しく、
その者に縋り付き少し前より大きな声を出してお願
いしました。
ところが、その者がもう一度地面にパンを置くことはなく、私をまた抱き上げ、歩き始めました。
その者の腕の中では、
視界が高く無理矢理飛び下りて逃げる事は
考えませんでした。
暫し経って、腕の中から外を覗いてみると
夜なのに何故か明るい、大きな大きな小屋のような場所に入るところでした。
お題/子猫
ーーーーーーーーーキリトリ線ーーーーーーーーー
夏目漱石の[吾輩は猫である]
を思い浮かべながら書きました
自分勝手で済みません!