戦争は終わった。
勝利の知らせは既に国中に広がり、街は、なんだか現実味のない喧騒で湧いていた。
ふたり分の生活用品の詰まった買い物袋を肩に下げて、道をゆっくりと歩く。
しばらく見ないうちに、この辺りも随分と様変わりしたような気がする。
少女たちが和やかに話しながら、横を通り過ぎてゆく。
自分が変わったのだろうか。
肘しかない腕の丸い断端にはめて固定した杖に、身体の半分の重さを預ける。脚が軋む。一歩を踏み出す。
戦争でこの街を出てから、もう5年が経っている。
かつては自分の庭と呼べるほど知り尽くした故郷だったこの街も、今では私を余所者だと思っている気がする。
焦土と化した町で、爆発を逃れるために引き摺り込まれた物陰で、戦闘終了の命令を言い渡された時、私は確かにホッとした。
不思議なことだが、私は衛生兵に引きずられている自分の状況も忘れて、故郷であるあの街を、かつての記憶の通り意のままに歩く様子を、脳裏にありありと描くことができた。
私は、どうしてだかあの時、無邪気に戦後に希望を抱くことができていたのだった。
しかし、あの時私を引きずっていた兵は違った。
彼女はこわばった顔で、ぼんやりと私の顔の方に俯いていた。
彼女は知っていたのだろう。
戦争が終わるということを。
兵士が帰るということがどういうことかを。
戦争が終わった。
その事実は私たち兵士よりも早く、故郷へ伝わって、その現実味のない高揚感は、今も街を覆っている。
戦争裁判が始まった。
引っ立てられるのは、運の悪いことに、大衆の情を引くほど負傷をしていなかった兵士たちだった。
戦争を始めた文民たちや私たちのトップは、戦争の泥や血を被らないばかりか、責任すらも取ってくれないのだった。
人道的な戦争など、かつて歴史上に存在したのだろうか。
甚だ不明だったが、非道な戦いをしたとして、戦犯は裁かれ続けた。
足と腕のちぎれた私を助けてくれた、あの日私を引きずって物陰に飛び込んだ彼女も、そんな戦犯の1人だった。
彼女は犯罪者になった。
しかし、彼女が私の命を救ったのも事実だった。
だから、私は、彼女とふたりで故郷に帰ることを決めた。
故郷の街の平和な片隅で、ふたりぼっちの暮らしを送ることにした。
実際、故郷の街は、私にとっては、記憶からすっかり変わり果てていた。
平和な日常は、私たちにとっては、サイズの合わなくなった服を着たときのような居心地の悪さを纏っていた。
戦争を知らない街は、私たちの困難を孤立させているような気がした。
けれども、ふたりの暮らしは思ったよりも悪くはなかった。
戦争は終わった。
街は、戦勝の現実味のない喧騒で包まれていた。
私は、家へ向かう。
杖に身体の重さの半分を預ける。
脚が軋む。
私は、ふたりぼっちの家へ向かう。
一歩一歩、戦争を知らない街を踏みしめて。
独歩遺焦道
咳舞砂塵芥
今無緑勿鳥
生心中風景
独り遺り焦げた道を歩く
咳すれば砂塵芥が舞う
今は緑無く鳥は勿けれど
心の中の風景は生きている
ダンボール 運び出す庭 夏草や
夏草を かき分けかき分け 虫籠と
踏みつけた 夏草の匂い 夏の暮れ
ここにある ただそれだけで 温かい
心の奥を 大切にして
今ここに あることが重要 そう言って
私たちの師は 宿題を集め
いつでも ここにあるから そう言って
私に肩かす あなたの温もり
動物たちが、顔を突き合わせて、話し込んでいた。
大きな二本足で歩いてみせる動物たちは、人間のように服と靴を着こなして、紳士淑女のように、議論に夢中になっていた。
素足のまま出てきた私の足の裏に、地面の砂利や小石が容赦なくめりこむ。
身じろぎで、ざらざらとした足の痛みを誤魔化す。
獣たちは相変わらず話し込んでいる。
丸い背中の豚が、向かいの山羊に言葉をかける。
山羊の、角張った角の横の、柔らかそうな白い片耳がぴくりと動く。
くるくるとボリュームたっぷりの立派な頭髪を持つ羊が黒い蹄で何かをなだめ、それを聞いた鶏が、白い翼を握りしめる。
牛が、尾でしきりに自分の服を叩きながら、何かを捲し立てる。
一番幼いのであろう、比較的小さなむちむちの白い幼虫が、引き取るように話をまとめ、それで一度、獣たちは、冷静さを取り戻す。
軽い沈黙の後、ふたたび沸き始めたお湯のように、ふつふつと会話が始まる。
私はそれを、息を潜めてじっと見つめた。
家畜を狙う野犬のように、藪の中でじっと、素足のまま、しゃがみ込んで、奴らを観察し続けた。
手の中に隠した、牙製のナイフを握り込む。
これは唯一、私が持っている、私の主人である垂れ耳のボーダーコリーからいただいたものだ。
私は今日の夕刻に、主人の敵派閥にいる、まだ幼い子犬を刺す手筈だった。
しかし、どういうわけか、私は今、主人の命令に背き、逃げ出した。
心だけが、なぜだか野良になることを決めていた。
主人が、私を拾ってくれた時に、私にくれたものは、この牙のナイフ以外に全て置いてきた。
私は素足のまま、自分の身体一つで、ここまでやってきたのだった。
獣たちは夢中で話し込んでいた。
私はお腹が空いていた。
私の素足のままの足には、石や砂利が食い込んでいた。
私は肉が食べたかったし、せめて、足を柔らかく包んでくれる何かが欲しかった。
私は藪の中で、じっと息を潜めて、獣たちを伺った。
かつて、私たち人類の持ち物であり、資源であった獣たちは、夢中で何やらを話し合っていた。