やめてよね やさしさなんて いらないの
言ってたあなたの 夫はやさしい
やさしさに 初めて“なんて”と 続けた人
きっと愛らしく 捻くれた人
つまらない そんな一辺倒なやさしさなんて
エスコートなんて レディファーストなんて
簡単な 処世術だよ やさしさなんて
やさしい大人の やさしくない答え
河原の石 角なく怒らず ただそこにある
やさしさなんて そういうものさ
乳母車にひとつだけぽつんと、無造作につけられた風車が、カラカラと音を立てた。
轍から雨粒が抉り取ってできた浅い泥だまりに、濁った液体が溜まっている。
夕立は過ぎ去っていた。
空は、先ほどの激しい大雨などまるでなかったかのように、快晴の日の夕方と相違ない、見事な茜色に染まっていた。
雨水たちは、やかましく音を立てながら、雨樋を伝って、地面へ身を投げている。
軒下に下げられたままの風鈴やてるてる坊主は、雨水でぶっくりと太った体を、僅かに揺すった。
人が居た気配は満ちていたが、人がいる気配はなかった。
まるで、つむじ風にさえ攫われ、道からこぼれ吹き荒ぶ砂煙か、あるいは、篩にかけられ、跡形もなく姿を消した粉砂糖の塊のように、生き物だけが消えていた。
人も、犬も、家畜も、虫さえ、見えなかった。
ただ、何かが生き、暮らしていた痕跡だけが、蜃気楼のように、確かに、存在していた。
あの辛抱強い生物である植物さえも、生というものを投げ捨てていた。
その一帯に、植物は確かに、居るは居たが、どれも皆、枯れ茶けた、痩せ細った体をいたずらに野外にさらしながら、首を深く折って、項垂れていた。
枯死した植物たちの死骸の、影だけが、高く、長く、伸びていた。
何が起こったかすら、消え失せていた。
ただ、生き物たちの形跡だけが、夕立にずぶ濡れにされて、立ち尽くしていた。
雨の名残だけが、みずみずしく、生を主張しようとしていた。
軽い風が、一塵吹いた。
無機物となれ果てたカサカサの植物が、風を感じて、意志もなく、靡いた。
風車が、カラカラと鳴った。
寝転べば、ちょうど月が、見える位置。
みんなで寝転び、今日の現実に、今日の絶望に
夢じゃない、夢じゃないのだ、と念を押す。
現実を見つめるために。
絶望に立ち向かうために。
寝転べば、ちょうど月が、見える位置。
薄明るくほのめく、夏の満月。
心の羅針盤?儂が「心の羅針盤」だと?
お前は、他人や羅針盤みたいな道具に頼らなければ、自分が進みたい方向すら、分からないというのか。この痴れ者め。
どうやら、しばらく見ぬうちに、あの頃まで精神が退化したようだな。
そんな意志薄弱なものに育てた覚えはない。
もっと励め。精進しろ。
独り立ちして久しく数十年。
久しぶりに師匠へ出した手紙の返事には、そんなことが書いてあった。
師匠は、私が弟子入りした頃から、頑固で、昔気質で、意志の強い、面倒な人だった。
自分で進む道は自分で決めろ、己の決断は己でしろ、他人の言葉をそのまま使うな。
小さい頃から、自らの手で人生を切り開いてきたという師匠は、いつでも一貫して、自己決定の大切さを訴えていた。
そんな、パワフルで力強い、自立心の高い師匠の背中は、私の心の羅針盤だった。
師匠と出会ったことで、それまで他人の言葉の受け売りで生きてきた私は、初めて己で世の中と向き合わなくてはならなかった。
師匠に叱責されるから、私は自分の言葉で、自分の決意を表さなくてはならなかった。
師匠と将来を話すときには、私は親に敷かれたレールをもう一度、己の脳と目で見直す機会を与えられた。
師匠の言葉と修行のおかげで、私は初めて私の人生を私の目で見直し、私の頭で考え、私の言動で主導するようになった。
私は他の誰のものでもない、私の人生を歩むことができた。
師匠の言葉が心の羅針盤になって、今に至るのだ。
しかし、師匠の持論にしてみれば、それも、私の甘えに見えるのだろう。
他ならぬ師匠の言葉を、深く考えずに、そのまま自分に適応しているのだから。
師匠の教えに反している。
師匠がこのような返事をするのも当たり前である。
だからこそ、これでよかったのだ。
今月で、師匠は米寿を迎えられる。
だが、まだ変わらずお元気のようだ。
自らの信念も、もう何十年も前の弟子の課題も、変わらずまだ覚えていらっしゃるのだから。
師匠はまだお元気で、あの時の師匠のままでいらっしゃるようだ。
少なくとも、呆けたり、弱気になられたりは、なさっていないようだ。
私としては、今回の返事の叱咤激励が非常に嬉しい。
私の心の羅針盤が、今でもお元気である、ということが。
夕方の シオカラトンボに 呟いた
またね、明日ね、さようなら
きっと君 またね、と言った はずなのに
つまんだ骨の 重さは後悔
またね、など 信じはしない 同じ日は
私たちには 二度とないから
またね、って 進んだきり針 戻らない
8月6日 8時15分