あじさい
庭から祖母がとってきたあじさいが仏壇に飾られている。
綺麗だな、と思いつつお供えされていた人形焼きを頂く。
さあ食べようと机の上で開けようとして、ふと感じた違和感。黒い影。
袋の上になめくじという悲劇。
そしてその後追い討ちをかけるように謎の羽虫の登場。
おばあちゃんのティッシュでご退場頂きました。
今年はやけにあじさいの葉が何かに食べられていると思ったらもしやなめくじか。
あじさいを飾るときにはなめくじと虫にご注意ください。
やりたいこと
もうすぐ夏至。
フィンランドでは、夏至の夜に自分で摘んだ9種類の草花を枕の下に置いて寝ると、夢で将来の伴侶を見ることができるというおまじないがあるそうです。
こういうのって、なんだか楽しそうなのでこっそりやってみたくなりますね。
ただ、調べると夏至の夜に以外に夏至の前日だったり夏至祭の前日だったりとその辺が曖昧で、
また最近は9種類の草花でなく7種類でも良いらしいです。
少しアバウトな感じがまた良いですね。
(私の調べが足りないだけだったらすみません。)
今から夏至が楽しみです。
いつまでも降り止まない、雨
そこから歩いて、もう随分遠くまで来てしまった。
今いるここではあまり雨が降らない。
けれど、昔歩いていたその場所では今も雨が降り続いているのだろう。
また傘をささずに雨に濡れたくなった時には
その場所を訪れようか。
大地に寝転び雲が流れる・・・目を閉じると浮かんできたのはどんなお話?
ある日の穏やかな午後、小さな雲が生まれました。
今にも消えそうな程うっすらとしたその雲に、ちょうど隣に浮かんでいたおしゃべり好きな雲が話し掛けます。
やあ、君はまだ何にも知らないのでしょう?可愛い鳥達は僕が話し掛けても無視して飛んでいってしまうんだ。きっと僕達よりも速く動けるから自分達の方が沢山のことを知っているし、僕らの話なんか聞いても退屈だと高を括っているんだろう。
生まれたての小さな雲は突然話し掛けられて驚きましたが、話し掛けられて悪い気はしなかったのでそのまま話を聞いてみることにしました。
僕はあの黄色い花畑が好きなんだ。大きくて綺麗だろう?君の好きなものは?
突然聞かれて、小さな雲は困ってしまいました。
好きってなんだろう?よくわからない。
小さな雲が悲しげに言うとおしゃべり好きな雲は、
他のものよりきらきらして見えて、嬉しくなるんだよ。
と言いました。
それから小さな雲は頑張って考えました。
下を見ると畑の中にぽつぽつと家の屋根が見えます。けれど、きらきらして見えたり嬉しくなったりはしませんでした。
ふと思い出して来た方角を見ると、もう黄色の花畑はとても遠くに見えます。
ねぇ、黄色のお花畑はもうすぐ見えなくなってしまうよ。
小さな雲は隣を見て話し掛けましたが、おしゃべり好きな雲はいなくなっていました。
少しだけ寂しくなった小さな雲は、また好きなものについて考えることにしました。
小さくて消えそうだった雲は少しもこもこの雲になりましたが、まだ小さいままです。
次に見えてきたのは大きな尖った屋根のある白い建物でした。それが何なのか小さな雲には分かりませんでしたが、誰かが鐘を鳴らしているようです。
小さな雲は少しだけ嬉しくなった気がしましたが、それが好きなものなのかを考えているうちに、その建物は見えなくなってしまいました。
なんだか悲しくなった小さな雲は少しだけ泣きそうなのを頑張って堪えて、また好きなものを探し始めました。
しばらくすると、白鳥が沢山いる大きな湖が見えてきました。水面に太陽の光が反射してきらきらと光っています。
今度は早く考えなければいけないと、小さな雲はさっきよりも頑張って考えました。それなのに運の悪いことに、突然風が強くなってしまったのです。
考えなければと焦るほど頭が真っ白になってしまううちに、湖は見えなくなってしまいました。
小さな雲はとうとう悲しくて泣いてしまいました。
泣いているとさっきよりも暗くて景色がよく見えなくなりました。
そしてその分、上の方が明るく見えたのです。
なぜ上の方が明るいのか不思議に思った雲が上を見ると、そこには光輝く太陽がありました。
小さな雲はよく考えました。
太陽はいつもそこに居てくれていなくなりません。きっといつも嬉しい気持ちにさせてくれるでしょう。そして一番きらきらして見えるのです。
他のものよりきらきらして見えて嬉しくなるもの。
小さな雲はやっと好きなものを見つけました。
ある深い森で空を見上げている者達がいました。
あの雲は消えてしまったね。
そうだね。
雲ってすぐに消えてしまうものもあるんだね。
私達よりも長く生きる者達がいるのなら、私達のことを雲のように儚い生き物だと思うのかな。
どうだろうね。
けれど雲も短い一生のなかで、その雲にとっての
何か大切なことを見付けるのではないかな…。
おしまい。
生きる意味
今日もいつものように、電車の窓から通り過ぎていく街並みをぼうっと眺めながら考える。
かなり極端な話、人は今すぐにでも自分を手放すことができる。
それをせず、今こうして生きている理由はなんだろう。
生きることに何らかの価値を見出だしているのだろうか。
はっきりとした将来の展望があるわけでもない。
今はただこれから生じる出来事への漠然とした不安と期待を抱えながら時の流れに身を任せるのみ。
生きるために目標は必要だと思うけれど、
そもそも、生きることに理由は必要なのだろうか。
目先のことにしか気がまわらない私は、
今死んだら何を後悔するのだろうと考えてみる。
思い浮かぶのは、家族に関することや自分の成長の可能性を失ったこと、読みかけの小説を読み終えていないこと、他にも大小様々なこと。
きっとそれが今の私にとっての生きる意味なのだろうと思う。