些細なことだけど、胸が張り裂けそうで、
誰かに話したい。
だけど誰かに話すのも怖くって、毎日が憂うつ。
親しい人にLINEで話すにしても、書けないことで、
毎日どんな風に言おうか迷って、
日にちがたっていく。
こんなふうになったのは、小学校低学年から、
変なあだ名を付けられたり、物を取られたり、
消しカスをかけられたり、
嘘を否定してもその嘘をしつこく言ってきたり、
ほんとに小さな嫌なことから大きなことまで、
してきたのはあいつだった。
でも、私からしたら嫌なことでも、周りから見たらしょうもなくて、「こんなことでかよ、、」
なんて、呆れられるかもしれない。
そう思うと親や先生に言ってみても、
途中で怖くなって、手足が震えたり息が詰まる。
こんな自分が嫌い。そして段々と不安が重なって、過去にした事を不安に思い、もっと怖くなる。
そして、『いっそ死にたい。』
そうは思うけど、実際怖くてできない。
こんな不安から少しでも手を差し伸べて
救ってくれたのは、親しい友達との電話。
文字では上手く伝えられないことを、
声で表して話す。それだけで楽になった。
しかも直接会って真剣に話すんじゃなくって、
離れた距離で話す。
それも安心に繋がったのかもしれない。
だから最近、夜電話したり朝電話したりして、
少し安心してから学校へ行く。
どこにも書けないことを電話で声で伝える。
それが一番の小さな救いだ。
#『どこにも書けないこと』
No.37
私の叔父は時計の修理屋さん。
私はものを修理するのを見るのが大好きで、
よく叔父の仕事場を見せてもらっていた。
そんなある日私も時計の修理をさせてもらった。
その時私は気持ちが落ち込んでいて、
時計の針を見ながら、「時間が止まればいいのに」
そう思った。
子供の頃もよく「時間が止まればいいのに」
なんて思ってたけど、それは楽しかったから、
この時間がいつまでも続いて欲しかったから。
でも今は時間が止まってもう最悪な時間が、
これからも続いて欲しくなかったから。
大人になっていくとこんなにガラッと変わるのね。
#『時計の針』
No.36
「うわ、最悪。水こぼしちまった。」
そう思いながらふと思った。
気持ちを表す時に使う溢れるってなんなんだろう。
だって普通、気持ちがいっぱいとか、
そういう比喩をつかうだろ?
でもしばらくして溢れる気持ちになった。
俺がずっとずっと一緒に暮らしたかった、
犬が家に来たからだ。
それはほんとに嬉しくて嬉しくて泣いた。
この気持ちを感じられたからこそ、
溢れる気持ちを理解出来た。
#『溢れる気持ち』
No.35
『Kiss me』
外国語で言ったらちょっとかっこよく聞こえるが、
日本語で言ったらただの変態だ。
日本語後に慣れすぎてしまったせいなのか、
外国語はかっこよく聞こえる。
こういう現象は何なのだろう。
考える立場を変えて自分が外人だったとする。
だけど日本語をかっこいいとは思わない。
言葉は、国語の問題にある立場を変えて、
思考を考えたりすることができない。
不思議で面白いけど、なんか不思議だ。
#『Kiss』
No.34
1000年も自分がずっと生き続けていたら__。
なんてこと考えても。
周りの人が死んでいって、
知ってる物もなくなって。
きっと辛くて自ら死ぬだろう。
「私なら、」「僕なら、」「俺なら、」
『絶対死なない。』
なんて軽いこと言えたもんじゃない。
本当は味わうはずじゃなかった辛さが待ってる。
だから、1000年先もなんて考えるのは意味が無い。
こんなことを言ってる自分もくだらないけど。
#『1000年先も』
No.33