「美味しいよ」
僕は笑って
そう言った
何も知らずに
君は笑う
泣く僕に
手を差し伸べて
笑う君
その手はいったい
本心なのか
努力しても結局は才能がある人だけが評価される。
今も昔も変わらないのかもですね。
誰かが「上手」と言っても結局は別の人の方へ行く。
それならもう、何も言わないで欲しいです。
貴方へと
いくら思いを
伝えても
あなたの心は
空っぽのまま
雨水を
集めて交わる
川があり
草木や花に
水を贈る
今日は道徳で詩をしました
その詩の内容は「褒められなくても貶されてもいい、母が私の絵を見て「へえ」と驚いていくだけでいい」と言う内容の詩でした。
私はびっくりしたのと同時に詩の作者が怖いと思いました。
「褒められなくても、貶されてもいい」そんな言葉は本で何十回も読んできました。
自分もそうしようとしても、昔馬鹿にされたり仲間はずれにされたことが頭に過ぎって結局、その時のことに振り回されるんです。
人間って過去のことをずっと抱える生き物ですから。
なので、「褒められなくても、貶されてもいい」と言える人は何だか人間じゃない神様のように遠く感じちゃうんですよね。
その事を母に言ったら「厨二病?」「捻くれてる」と言われました。
こんなひねくれてる私なんて大嫌い。
明日へと
歩いて行こうと
君は言う
僕には進む
足すらない
歩いてく
時々走って
また歩く
そのうち見える
ゴールの文字
歩いても走っても
結局は皆、たどり着く場所は一緒なんですよ。
ただひとり
君には僕が
どうみえる?
静かな人が
うるさい人か
目が合えば
何処かで会った
気がしてさ
僕は見つめる
君のことを
一声で
貴方に会えて
良かったと
言える喜び
この先でも
刀剣乱舞知ってますか?
去年の4月から一応してはいたんですけど真面目にやり始めたのは去年の10月。
名前もだんだんと覚えてきてます。
手のひらに
紙とペンを
抱えては
手のひらの上は
無限大
水を持ち
食料持てば
もう完璧
手のひらには
木の枝1本
アニポケ好きな人ならわかると思うんですけど、サトシが最後に道に小枝を投げて進む所を決めるシーンが凄く好きなんですよね。