夏
夏はあまり好きではない。私は暑いのが得意でなく、日焼けをするのも好きではないからだ。
けれども太陽のでている時間が長いのは好きだ。
仕事からの帰り道を空が明るいのを見ながら歩く時間は、明日もいい一日になるといいなと考える時間になる。
家についてもまだ窓から光が差し込み、今から出かけようかと思わせてくれる。
全身を包み込む熱気も、後から後悔することになりそうな日焼けも好きではないのに、それらを退け外へ誘い出す魅力が、夏の青い空にはあるのだ。
ここではないどこか
ここではないどこかには、ここよりもっと良いものがあるとは限らないけど、
あるかもしれないと期待できるのは素敵なことよね。
繊細な花
あれやこれやと手をかけてやらねば咲けない花があり、
誰かが世話を焼く必要もなくアスファルトを突き破って咲く花がある。
手をかけただけ美しく咲くとは限らないが、
手をかけただけ愛おしく見えるのだろう。
一年後
一年後は今の自分より成長した自分でありたい。
と思ったまではいいが、どんな姿の自分になりたいか、それになるためにどういう努力をすればいいか、
禄に考えていないことに気づいてしまった。
目標を見つけること、その達成の為の手段を考えることは難しいと思う。
目標を決めることは、自分を見つめることと現実を見ることが必要だからだ。
手段を考えることは、目標に辿り着く為にこれから重ねる努力が実るか、無駄になるかが決まる場面だからだ。
努力をすることは、決めた道をひたむきに走ることだから、いっそ楽に思える。
しかし、それらから逃げてはいけないのだろう。
どこに辿り着きたいのか分からないまま走っていても、堂々巡りをしたり、
いつか走る意味が分からなくなって足が止まって、そこに立ちつくしてしまうだろうからだ。
一年後は今よりも成長したいと思うのは、私の中で確かなことだ。
ならば、目標と手段を考えることと向き合うことから逃げてはいけないのだろう。。
子供の頃は、今より全てのものが鮮明に見えていた気がする。あの頃はなにかに出会うたびに、多かれ少なかれ私は何かを刻みつけられられていた、そんな気がするのだ。とはいえそれも当たり前だろう、子供の頃に出会うものは初めて出会うものばかりなのだから。大人になるにつれて、「初めて出会うもの」には出会いにくくなり、周りには既視感にまみれたものしかない、色褪せたものに見えてくる。この景色を変えるためには、どうすればよいだろうか。多分私が認識するところの世界は、実際の世界よりずっと狭いことが原因だ。私が思うところの世界の端をまたいでみれば、子供の頃見ていた鮮明な世界の続きがあるのだ。子供の頃の景色を見るために、世界の端を超える勇気を持たなくてはいけないと思う。