眠れない。窓の外はすっかり暗くなって沈黙が横たわる午前二時。ぱっと目が覚めてしまった。
最近はこんなことばかりだ。目が覚めてしまう日は毛布を頭まで被って眠れるのを待つのだが、今日はそうもいかないらしい。徐々に冴えてくる頭に小さくため息をつく。一度起きてリビングでテレビでも見ながらやり過ごそうと布団から出る。
隣で眠る同居人を起こさないように、そっと。
深夜のリビングは当然のことだがひどく静かだ。電気をつけてからテレビの音を最小にしてブランケットを被りソファーに横たわる。
今の時間は通販番組しかやっていない。だが、DVDなんかを持ち出して観る気にはなれなかった。
時計の音がやけに大きく感じられた。規則正しい機械音がまるで私を責めているような__気のせいだとわかっていてもやけに気になってしまう。
近頃はだめだ。いつだって気分が沈んで気づけば自分を脳内で罵っている。仕事での些細なミスを反芻したり、ぐるぐると思考が同じ場所を行き来している。
数十分の沈黙を破ったのは「あれ」という少し寝ぼけて掠れた声だった。リビングの入口に同居人が立っている。
「起きてたの?」
眠たげに目を擦りながら同居人が言った。
「眠れなくて」私は返す。
「いいもの作ってあげようか」
「いいもの?」
「座ってて、すぐ作るから」
そう言ってキッチンに消えた同居人を目で追いながら私は考える。もしかして最近思い悩んでいることがバレたんだろうか。ふわふわしているようで人の機微に目敏い人だから有り得るなと私は思った。気遣われているというのが有難くもあったが情けない自分にまた気分が沈んだ。
数分経った頃、リビングに甘い匂いが充満した。
湯気が立ったマグカップを両手に持った同居人が戻ってきて私にそのひとつを手渡した。
受け取って中を覗く。
「ホットミルク?」
私の言葉に同居人が得意げに笑う。
「そう、はちみつ入りのね」
料理下手なのに。ホットミルクくらいはさすがに作れるよ。言葉の応酬はいつも通りでそれに少しだけ安心した。
「何があったかは聞かないけど、しんどくなる前に頼ってよね」
何もかも見透かしたような穏やかな声だった。ホットミルクに一口、口をつける。
「秘密にしてくれる?」
「もちろん」
ひとつ、私の頬を伝った雫を同居人は優しくすくった。
あなたの優しさに触れる度、自分がいかに最低か思い知らされる。
自分の身を守るためにあなたを傷つけるような嘘をついた。今まで積み上げてきたあなたとの何もかもを無に帰す愚かな所業だった。
しかし、あなたは笑って私のことを許した。いっそ怒鳴って私のことを責めてくれたら良かったのに、あなたはそうはしなかった。それが私にとって一番の罰だとわかっていたからだ。
あなたは私の手を取って今までと変わらぬ笑みを浮かべている。
「本当にごめんなさい」
「いいんだよ、もう」
好きだったあなたの優しさが、今では一番痛い。
あなたがいなくなってはじめて、この世界が色で溢れていることを知ったよ。
手入れの行き届いた広い家も、温かくて美味しいご飯も、太陽の匂いがするふかふかのベッドも。
何もかもが満ち足りている。私の心以外は。
どんなに広い家もひとりでは寂しいし、美味しいご飯は誰かと分け合って美味しいねと笑いたい、怖くて眠れない夜は誰かに隣にいて欲しい。
あなたがいなきゃ、幸せになんてなれやしない。
シャッターを切る。その一瞬は、今ここで永遠になる。撮った写真はスマホに保存するよりも現像する方が私は好きだった。
時間とともに色褪せ朽ちていく写真用紙に写る、永遠の刹那。
あなたの目から溢れる涙、髪が靡く様、私に突きつける残酷な言葉さえ、シャッターを切ってしまえば永遠に残る。
現実のあなたはもういないのに。