秋の訪れに、死を想う。
私が死ぬ時は、今日みたいな秋晴れを願う。
御空色の下、それが最後の日なら。
例えば、くそったれな人生だとしても、その日が秋のよく晴れた、カラッとした風が吹く穏やかな日だったら、私はそれだけで救われるような気がするから。
空を見上げて、心地の良い風に吹かれながら
神様どうか私の最後の日は、晴れた秋の空の下にしてねと心の中でひっそり呟く。
「秋の訪れ」
ぺたぺた、どすん。お尻をぐらぐら揺らしながらも、止まらない。ちいさな探検家はテーブルの下をくぐり、前へ前へと進んでいく。
ついこの前まで寝返りもうてなかったのに。
瞳は小さなアンテナ。
触れるもの全てを“もっと知りたい”と引き寄せている。
どこに行きたいのかな?
何をみたいのかな?
私は後ろからこの子の様子を見守る。
ちいさな探検家のちいさな旅は今日も続く。
「旅は続く」
新しもの好きの私は、“写るンです”のモノクロが発売された時はすぐに買いに行った。
モノクロは目新しいものではないのに、私にはとても新鮮に見えて。
友人の優子に見せびらかして、すぐに優子を撮った。
優子の次は和代。その次は里富美。
景色も撮る。
目についたものは全部撮る。
写真家になった気分だ。
現像するのが楽しみで、出来上がると、カラー写真とは違った出来栄えに興奮した。
あれから30年。
先日たまたま仕舞い込んでいた昔の写真が出てきた。
そこに写ってる私たちは、笑顔が、若さが、キラキラしていて、エネルギーが溢れていて。
モノクロなのにカラー写真みたい。
それは愛しい日々の輝きだったのね。
「モノクロ」
想いこそが永遠なんだ
って、お館様が言ってたよ
コーヒーが冷めないうちに…
伝えると決めた。
何か時間の目安をつけないと多分私はずっと伝えることができないまま今日のこの人との時間が終わってしまうだろう。
五十路にもなって
「好きです。」
なんて告白をしようだなんて、気でも触れたのではないかと思われないだろうか。
私の様子はおかしくないだろうか。
私はこれまで人に自分から好きと言えたことがなく、いつも相手からのお誘いで恋人になったり、結婚だってそうだった。
モテてるわけではない。断らなかっただけ。
自分の好きな人と結ばれることはなかった。
そしてそのパターンはいつも悲劇に終わり、愛を約束したはずの人とも離れた。
すっかり愛に捻くれた私は、そんな恋だ愛だというものを諦めていたのに、そんな時に現れた。
結果はどうであれ、私はこれまでずっとできなかった事をやらなければ、ずっと捻たまま、このまま気づいたら人生の終わり頃になってしまいそう。
だから、伝えたいのだ。
一度くらい、自分から気持ちを。
コーヒーが冷めないうちに。
「あのね…私はね、あなたがね…」
「コーヒーが冷めないうちに」