「視線の先には」
視線の先には、思い描いた夢がある。
光輝くような立派なものじゃないけど。
夢と言っても平凡な日々の充実、なのかな。
今はそれ以上のこと無いねーって思うけど、
小さい頃の私が聞いたら、つまんないよ~って
がっかりするかも。
雄大な夢への憧れは、でも、この小さな夢を叶えて行く積み重ねのなかに息づいている。と思う。
イメージは大切だけど楽しいと思えなければ、私がつまらない。
今は小さく時を刻むような夢を、叶えていきたい。
でも大きな夢は叶わないから望まないっていうんじゃなくて、
……小さい夢は、息をひそめて捕まえないと、
消えてしまいそうになるから。
密かなことを思い描くような大人になった私が
それを叶えるには、
清流を泳ぐ銀の小魚、スッと捕まえる息使いが必要になる。
日々に小さな、夢を叶えて………
「私だけ」
なぜ私だけが
そう思った。けれどそれは、
私だけの痛みではなかった。
でも、
なんの慰めにもならない。
今、痛いのは私。
どこかにいる誰かじゃない。
ここにいるのは私。
私を、誰とも、混ぜないで。
「遠い日の記憶」
遠い日の記憶の、記憶喪失。
このままのどかに忘れ果てて…思い出さなくてもいい。
ギュッとロープを握るように、掴んでいなくてもいい。
…手放してしまってかまわないんだ。
それが君を苦しめるなら、捨ててしまっていい。
けれど、それを決めるのは君だから……
この選択肢を覚えておいて。
おかしいね。忘れろって言ったり覚えててって言ったり。だけど、
人は人の選択には触れられなくって、
それって大げさなんだけど…「聖なるもの」だと思うから、
さりげなく決められたらいいな。
泣きながら決めてもいいな。
聖なる君の記憶喪失。
あるいは、聖なる君の記憶顕現。
どっちも綺麗だ。
君は、どう思うのかな…
「空を見上げて心に浮かんだこと」
空がなかったら地上は、エレベーターの中みたいに息苦しいのかな。
空はいつでもそこにあるけれど、もしかしたら…
皆があってほしいと思うから宇宙の神さまが、
宇宙を地球の空へ変換させているのかも。
地上の生き物が空を見上げて、その広さと千変万化を仰いで息をつく時、
今日の雲は、くじらみたい。
不思議に赤い夕焼けだね…
空に落ちてゆくみたいだ、とか
束の間、詩人になったりする。
君の詩人を引っ張り出したら、その詩人は言うかもね…
「そうは言うけどこの空は、もっと差し迫った、そんなに長閑じゃない切羽詰まったものなんだよ!
この遙かさが頭上に広がってるのと、そうでないのじゃ全然違う。そうだろう!?」
…なんだか君の詩人は怒りっぽい氣がするんだよね。
「終わりにしよう」
終わりにしよう。
こんなふうにつらい思いをするなら、そうなるように重なってしまった、すべての要素かき集めて、
全部、捨てる。
左脳に響く邪魔なエコー、ノイズが充満して、
どんなにその持ち主である私を苦しめているか………
わかるようなおまえじゃない。
だけど苦しくない状況が、どこかにあるからこそ苦しい。
左脳にはわからない。
私を苦しめたら、おまえだって元も子もない羽目に陥るのに。
左脳もウイルスもまっすぐ前しか見ないみたい。
だったら、半分捨てちゃえよ………
いや違うか、
真っ当になって、私のために働け!!
❁左脳にブチ切れる私。
ネドじゅんさんの本、おもしろいです📖