星座が羨ましい。
果たして星座をくっきりちゃった見たと言う人は何人いるだろうか。
彼らはサボっても文句を言われることなんてないし、反対に光り輝いたら人々から注目され、称賛される。
楽したきゃできて、気分によってはちゃんとやる。
しかし彼らの替えなど存在しない。唯一無二でありながら気負う必要もない。
あぁ、星座が羨ましい。
なぜ彼らはあんな笑えているのだろう。
昼休み、教室の後ろの席、男女のグループが騒いでは笑って、笑っては騒いでいる。
彼らの会話は嫌でも耳に入るが何が面白いのか、笑う部分なんてどこにあったのか、僕には分からない。
ふと隣の席の他人に不可もなく可もない女の子が席を立って、そのグループに合流した。
目を疑った。彼らの会話に入る瞬間の違和感のなさ、彼女は元から居たのではないか?
ふと、目が合う。今度は違和感なくグループから離れこちらへ歩いてくる。
僕の席で立ち止まり、「踊らされるくらいなら、踊らせたい」と手を差し伸べてきた。
踊りませんか?
「あ、この1000円札偽札かもです!」とレジを締めている女が言う。
女に渡された1000円札の後ろには2羽の鳥が向かい合うように描かれている。
「タンチョウの1000円札、偽札じゃないよ」と言いながら番号を確認する。
女は「よく知ってますね」というが僕の意識は違う方向にある。
「てかこれ、すごい珍しい上に番号も幸運の番号ですよ!写真、写真!」覗き込むように女は言う。
女の言葉に重なるように『これ、珍しい上に番号も幸運の番号だよ!記念に一緒に写真撮ろ!』という言葉を思い出す。
はは、幸運なんて大層なものじゃなかったな。
巡り会えたら
出会えた奇跡に感謝とやらの話が嫌いだ。1つでも選択が違えば出会うこと無かったという妄想めいたことを言う人が好みじゃない。とても非現実的だ。
そんな話をされた時、今すぐ君の目の前から消えてやろうかとさえ思う。
しかし、人間というのは単純だ。僕も好きな人が出来れば奇跡に感謝するし、運命めいたものを感じる。
でも、ふと思うんだ。君の目の前から姿を消したら運命が作用してまた再開するという奇跡を。
それが本物だという意味のわからない不確定な確信さえある。
でも僕には...
奇跡をもう一度
河川敷のベンチ、当たり見渡す限り人影も見えないような田舎町では人に迷惑かけなければ都会のような厳しいルールは存在しない。
タバコに火を付け、煙を取り込む。
しかし、遠くから子供が走ってくるのが見えて、持ち運びの皿に押し当て火を消す。
子供はすれ違う時こちらを目で追えなくなるその時まで凝視していた。
少年にはどんな風にみえたんだろうか。
子どもの頃、僕は彼らを見てなんて思ったんだっけ。
こんなこと考えるなんて、僕も黄昏れる歳になったんだな。
たそがれ