どこまでも続く青い空
適応障害になったとき、終電までホームから電車に乗ることができなかった。仕事が定時で終わったときですら、ひとりホームに蹲りながら鉛のように重い足をなかなか動かせずに立っていた。帰宅ラッシュの時間には、そんな私は邪魔なもんだから、舌打ちするおじさんもいて実に申し訳なかった。なんとか電車乗れるのもおおよそ終電の時間あたりで、それまでは電車が行き来するのもひたすら見ていた。あの黄色い線の先に吸い込まれそうになる感覚は、物理的なものか果たして私のこころか。
私の職場は学生街の中にあった。コロナ前は早朝はゲロが散乱し、帰宅時間には酔った学生が駅前のロータリーで校歌を熱唱している。職場のお育ちのいい女の先輩が、「まったくバカでいやぁね」とランチどきによくその話題を出していた。そして、その次に医学部の弟の話をして貴重な1時間の休憩タイムは終わる。
酔ってゲロを吐く大学生よりも、スーツ着ながらどうでも良い話を真面目に聞いている私の方がよっぽど馬鹿馬鹿しかった。
普段は付き合い程度にしか吸わなかったタバコも、ストレスなのか、堅苦しい社会人に対する反発心かはわからないが頻度が格段に増えた。学生が集うロータリー内には喫煙所があり、仕事終わりにいつも吸っていた。身体に良いはずがないのに、深く吸うタバコの呼吸があまりにも心を落ち着かせた。コロナになって、ロータリーが閉鎖されるまでは、学生の声をbgmにタバコを吸いながら夕方の空を見上げていた。
諸々の事情を経て、仕事を辞めたのは8月だった。
退職した帰り道、猛暑により、目の前で歩いていたおじんさんが倒れ、救急車を呼んだ記憶がある。コロナも終盤に差し掛かっていたが、熱中症患者が増えたことで救急車が繋がらなかった。そこそこ小柄なおじさんだったので担ぎながらおじさんの家まで運んだ。近くのコンビニでポカリを何本か買ってとどけた。その後も救急車を呼ぶために電話をかけたが繋がらず、意識がもどったおじさんに帰れと怒鳴られて、逃げるようにその場をさった。
その日は、腹立つほど快晴だった。
仕事を辞めてからしばらく時間が過ぎた。働きたくても働けない状態で、傷病手当でなんとか凌いでいた。
私の一点の光は、恋人がいることだけだった。ああ、今この人がいなくなってしまったらワタシ終わる。何かが終わる。という、根拠もなく確信的な不安が私の余裕を無くしていた。地獄から一本の蜘蛛の糸にすがるカンダタも、これくらい余裕がなかったはずだ。
当時付き合っていた彼氏は優しい男だった。怒らず、穏やかで、のらりくらりと人生を生きていた。ストレスとは無縁なところが魅力的な男で、生きることに器用な印象を与えた。そして、その器用さが証明されたのは、浮気が分かった時だった。
浮気が発覚した時って、もっとこうドラマティックに心臓がバクバクすると思っていた。私の場合はというと、彼がシャワーを浴びている時にスマホの通知がなって、女からのやりとりが浮気そのものであったのである。
問い詰めるか、これからどうするか考えなくてはならないところで、私は家を飛び出した。感情は恐ろしいほど何もなかった。
その日も、青々と日照りの良い快晴であった。
職も男も失ったところで、私は途方にくれていた。
連絡先はすべて絶った。短期間で、あらゆるものを無くした。
いままでの関係性を全て壊すことが、今の私の心を救うためには必要だった。誰の何も聞くことができないと思っていた。1人になりたかった。
私は自分の家からひとしきり歩いて、
学生のころ住んでいた、中野に来ていた。
中野駅はいつでも賑わっている。
なんでかわからないけど私は中野が好きで、
ここにくるといつも落ち着く。
駅前の有名なお焼きを買って、改札前の丸いベンチに腰掛けた。ここは、おっさんの下世話な自慢話とマッチングアプリで待ち合わせた男女の挨拶がいつでも聞けた。
お焼きを食べながら、空を見た。いやというほど晴れていて心は曇天なのにその非対照さが嫌だなと思った。
いっそのこと、雷雨の中でびちゃびちゃになりながらお焼きを食べたい。
私は、大きなため息をついた。
「おねぇさん、なにしてんの」
不意に声をかけられて驚いた。左側をみると、そこには直毛の少し髪の長い青年がいた。ナンパか?と身構えたが、話し相手が欲しかったのでどうでも良いなと思った。
「いやぁ、なんもしてないよ」
「でかいため息ついてたよ。こんな晴天なのに、空見てため息つく人あんまいないね」
あはは、と適当に返したところでやっぱり知らん奴と会話するのはめんどくさいなと思った。適当にこのまんま帰ろうかなと思ったところで、男は会話を続けた。
「おれ、悩み聞いてあげようか。今暇だし」
「え?いやてか、あんたいま何してんの?新手の営業?勧誘?」
「おれは待ち合わせだよ。これから女の子来るんだけど、まだ時間あるから」
は?彼女持ちかよ!男ってのはよ!どいつもこいつも!
「あ、彼女いる男は興味ないわ」
「いや、違う違う、女の子はお客さん。お仕事だよこれから。俺仕事柄いろんな女の子見てるからさ、なんかなんとなーくお姉さん気になっちゃって」
あ、なんの下心もなくね!と付け加えられた。下心ないのか…と一瞬謎に落ち込んだところで、私の中のフェミニストが「じゃあお前なんぼのもんやねん!」と騒いだ。北国出身でありながら、心のフェミニストはいつも関西弁である。ここで重要なのは、下心が女を喜ばすわけではないけど、あらためて言われると謎に心外だと思うよねって話。
それもそれで、じゃあ尚更一体なんなんだよ。
というか、女の子とのお仕事ってそういうこと?
確かに妖艶な雰囲気あがある青年だった。
こんなお天道様がギラギラと張り巡らせている快晴の下でも、そのオーラは紫色だった。
▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎一旦トチュウ
中野であった青年に、
友愛と家族愛と性愛の話をされました。
かなり印象的な出来事で、その話を書きたい。
書きたいけど眠い!
眠い!最近最後まで書けてない!最後まで書ける人ってすごい!
衣替え (執筆途中)
衣替えをする季節になるといつも考えることがある。
四季についてである。
私はおおよそ4パターンに分けられた服どもを見ながら、四季と自身のこれまでを考えるのである。
私が生まれた土地は、日本ではあるが、はっきりいって四季はない。四季というよりぶっちゃけ二季である。夏と冬。どっちかといえば冬が長い。春と秋なんてものは、「あら?なんだかいつもと違う?」と感じ始めたときには既に猛暑と極寒が待っている。その高低差、60度ということで毎年テレビで駅前の温度計が報道されている。
大して気にも留めなかったこの「二季」は、上京したときに気にせざるおえなかった。本州とはこんなにも四季がはっきりしているのかと驚いたのである。こんな四季折々なら、故人も和歌なんて唄いたくもなっちゃうよね、と適当に納得したり、四季自体がなんてお洒落なんだろうとこれもまた心を刺激したりした。
上京したてのちんちくりん田舎ガールことわたしは、
服の選択に苦戦した。
そもそも、コーディネート自体難しいのに、4パターンも考えなきゃいけないだけで脳のリソースを占めた。
いままで、春や秋といったいわゆるグレーゾーン的な存在を考えなかった白黒人間の私は、
始まりはいつも
始まりはいつも、失ったものからできている。
手放したくなくて執着していたものや、
護られていて殻を破る勇気が持てなかったもの。
一度壊れて、
無くして、
諦めた時に、
初めて空いた容量の大きさに気付かされる。
始まりはいつも、手放したときから。
秋晴れ
秋が好きだった。
私が生まれたのも秋だし、
空気が澄んでいて、
空が高い。
深呼吸するとひんやりとした空気が肺いっぱいにひろがる。
雲ひとつない空も秋特有。
秋であるというだけで、
それに純粋に喜べたのは、
人生経験も乏しく、
狭い田舎で住んでいたからだろうか。
今艶やかな紅葉をみても、
昔ほど心動かされない。
喜びも快楽も昔よりも遥かに知っているのに、
あの頃の秋晴れに胸いっぱいだったこころより
満たされるものがみつからない。
忘れたくても忘れられない
元彼は、親に喜んで紹介するようなタイプの男ではなかった。どこか、サブカルチャーの匂いとアンダーグラウンドさがあった。いわゆる資本社会の、メインストリートを歩んでいない雰囲気を醸し出しながら、人並み以上の知識と教養の深さが余計に魅力を引き立てていた。そして作家志望ということで、いつも創作活動を嬉々としていた。かなり良い言い方をすれば、リリーフランキーから才能を幾分か抜いて、それっぽいリリーフランキーを作り出したような人だった。私はかなり彼に惚れていた。かなり。だって、リリーフランキーを例えに出してる時点であまりにもいい男だと言っているようなものだ。
当時の私としては、とにかくせっかちで自己中心的な女であった。金に対して興味関心が高く、せこせことどうでもいいことを忙しく予定を立てていた。そして色々と残念な女でもあった。例えば、デート中の食事で食べたいものの意見が割れれば、「じゃあ、それぞれ各自好きなもの食べて、30分後集合ね」で解決するじゃん、といつも考えていた。そこまではっきりと言うことはなかったものの、実際元彼とのデートで食事の意見が割れたとき「じゃあ各自で…」と言いかけたところで、今まで見たことがない形相で驚かれたので、二度とそのようなことを言うのはやめた。
私が彼のどこを好きだったのか、当時は誰に聞かれても答えられなかった。その場の答えとしては、「いやー、あのタレ目の顔にやられたわぁ」と言っていた。正直なところ、金も払わなければ社会性のかけらもない部分に腹が立っていたし喧嘩もそれなりにしていた。だが、私は彼と同じような人はもう現れないだろうなと今でも思うのである。彼にとって私のような女はいくらでもいるし、彼以上の「いい彼氏」になってくれる人はたくさんいると思うけど。
別れて数年経った今更、彼の魅力に気付かされるばかりである。冒頭もその一部である。
また、教えてもらったこともたくさんあった。
SF映画でしか言わなそうなセリフだが、彼は情緒的な楽しみや、無駄なことの大切さを教えてくれた。また、女性として生まれてきたことの喜びも気づかせてくれたなと思う。本心であるが、かなりセリフ感が強く書いていてあまりにも恥ずかしい限りである。
正直、かなり悔しい。別れてから元恋人のことを振り返ったことも後悔したこともなかったが、人生で初めてこんなに執着を重ねている。情けない女だと自覚しながら、なかなかに空虚なのである。
5.6年付き合った中で思い出はたくさんある。
もちろん、彼自身の魅力はある。
けど、なんとなくいつも彼と別れたことを後悔するのは、B'zのイチブトゼンブを聞いたときなのだ。なぜここでB'zなのか。いや、B'zは最高なんだけど。ラブファントムのイントロで収まるぐらいの長さで説明すると、下記の通りである。
私が小言を言って小さな喧嘩が続いていた時、いきなりLINEでB'zのイチブトゼンブの冒頭の歌詞を送ってきた。「俺の気持ち」とだけ添えてあり、その時の私はブチギレていたが、爆笑した記憶がある。
確かに私は、彼の全てを知りたがって、それでいて私の全てを知って欲しがった。
どうして恋愛の文章って少し書くだけでこんなにポエミー感が強くなるのか。
正直、この思い出が強烈でそれだけで別れたくなかった。こんなこと?って感じだけど、案外離れたくない理由ってそんなもんかもね。
世界一かっこいいと思ってたけど、
まぁ今冷静に思い返してみれば、NHKの深夜番組で見たトビハゼみたいな顔している。23時55分に放送してたやつ。いやでも、私はその番組のトビハゼが結構すきだった。映画の話とかするし。
私がかつて愛したトビハゼは、あるところにいつもブログを書いていた。
未練がましいわたしは一読者としてたまに読んでいる。
一向に更新がないのは、今いる生活に満足しているからなんだろうか。
心のコップから溢れ出すような気持ちに収拾がついたのだろうか。文章を書かずとも生きていけるようになったんだろうか。人を満たし、人から満たされたのだろうか。
一方、私は抱えきれない思いを毎日文にしている。
SNSや誰も見ないノートに不安で仕方がない気持ちを書き殴っている。いろんな感情が溢れて仕方ないのに、心は常に枯渇している。
私はまだ、ヤドカリのように殻の中に隠れながら、ひとり燻っている。
きっと私の殻の色はあまり綺麗じゃないだろう。
まだ、忘れたくても忘れられない気持ちがぐるぐると戸愚呂を巻いて、柄になっているはずだから。