君に会いたくて
会いたい人いたかな、と考えていたら、
はるか昔のことを思い出した。
強烈に残る記憶の一つに、
幼稚園の夏のお祭りで出会った女の子のことを思い出す。
名前もどこの誰で何歳だったかも知らない。
出会ったのは、お寺の部屋の一部を装飾したトンネルが作られた場所だった。なぜお寺かというと、仏教系の幼稚園だったからだ。トンネルは入り口と出口が設けられていて、ダンボールで大きな簡易部屋を作っている感じだったと思う。正直そこはあまり覚えてないけど。
生意気で薄馬鹿だった私は、親の言う事を聞かなかった。見事に入口と出口を勘違いして、出てきた子と衝突し、頭を打って大泣きした。母親が呆れながら私を抱えていたら、私よりすこし背の高いすらっとした女の子が、どこからか現れて私の手を引いた。ショートヘアの、顔の小さい、ピンクの浴衣を着た女の子だった。
「いくよ」とだけ言って、強く私を引っ張った。
え!という母の声と、入り口に立つ大人を放って、私たちはトンネルに入った。
彼女は、少しも立ち止まらず、私の手を握って走っていた。きっとトンネルは、数秒の出来事だった。
だけど、私はさっきの衝突の痛みを忘れて、
キラキラした装飾が綺麗な星空の中にいるような感覚を、スローモーションのように見ていた。その光景は、今でも忘れられないほど胸と目に焼きついた。手を引く女の子の姿も、痛いくらい強く握った手の感覚も、忘れられなかった。そして、それがとても嬉しかったのを覚えている。
その後、女の子がどうだったか全く記憶にないけど、
母親が出口から出てきた私を見て安心していたのは覚えている。
あの衝突の後、悲しい気持ちを一瞬で振り切ってくれた、顔も名前もわからない彼女のことが私はとても好きで、忘れないように何度か思い出している。
2024.1.20 君に会いたくて
これは創作じゃなくて実話を書いてみました。
昔の記憶で飾られてる部分があるかもしれないけど….
閉ざされた日記
父が死んで遺言状の封が開かれた。
そこには、当たり障りのない財産の行先が書いてあった。
父が死んでしまった。
死んだ父の日記を読んだのは、相続のためだった。
小さな個人事務所を営んでいた父の手帳には、左ページに経費の記録、右ページに日記があった。
私は二世として田舎にか細く生きる事務所に、ひとりとり残されたのだ。
深夜誰もいない事務所で身の回りの仕事が終わらないなか、父の手帳を手に取った。
ぺらり、ぺらりとめくるたび、
そこには生前の父の記録が残されていた。
内容は、これまた当たり障りのないものだった。
繁忙期にぽくりと死んでしまった父は、
酒好きで楽観的で誰よりも誠実な父親だった。
相続に関する申告の締切はまだ先。
手元には、山ほど仕事がある。
父が死んでも、世の中は特に変わらなかった。
期限も法律も、ニュースも気候も変わらなかった。
地球もそのままだった。
なんの変化もなかった。
手元の手帳しか、今年の父の生きた記録がなかった。
私はそれがとても悲しかった。
私の心だけが、ぽっかりと空虚なままだった。
時が経ち、
父が座っていた、父のデスクにある父の椅子に腰掛け、経費の入力としての役割を終えた手帳を、
鍵のかかった引き出しにしまい込んでいる。
2024.1.18 閉ざされた日記
木枯らし
誰に習ったわけでもないのに、
いつの間にか知っている言葉。
寒さや冬といったものは、どこか寂しいものがある。
木枯らしもまた、枯れ葉と共に冷たい風が、孤りの肌に響くような、孤独の寂しさがある。
かといって、日常で木枯らしにそんなことを感じたことは一度もない。
空の高さを感じ、雨が降り、紅葉色の絨毯が歩道に広がって、秋が始まる。そして、身が痺れるような寒い風が冬の訪れを知らせる。澄んだ空気と、日光にキラキラと光る雪が眩しい、明るい冬がやってくる。
木枯らしは、冬を求めるための一工夫だと毎年思う。
ああ寒い、いっそのこと冬が早くこればいいのに、と、一年かけて忘れていた冬の懐かしさを思い出させてくれる。私の木枯らし。
2024.1.17 木枯らし
美しいもの。
都会の寂寞のなかで忘れていたもの。
オレンジ色の街灯に照らされて、
音もなく降り積もる雪。
冷たさが肺いっぱいに広がる、澄んだ冬の空気。
晴れた朝に見える、広大な山脈。
あの頃、嫌というほど囲まれた自然から
逃げるように田舎を出たはずだったのに。
この冬、私は懐かしい故郷の美しさに、何も太刀打ちできなかった。
2024.1.16 美しい