閉ざされた日記
父が死んで遺言状の封が開かれた。
そこには、当たり障りのない財産の行先が書いてあった。
父が死んでしまった。
死んだ父の日記を読んだのは、相続のためだった。
小さな個人事務所を営んでいた父の手帳には、左ページに経費の記録、右ページに日記があった。
私は二世として田舎にか細く生きる事務所に、ひとりとり残されたのだ。
深夜誰もいない事務所で身の回りの仕事が終わらないなか、父の手帳を手に取った。
ぺらり、ぺらりとめくるたび、
そこには生前の父の記録が残されていた。
内容は、これまた当たり障りのないものだった。
繁忙期にぽくりと死んでしまった父は、
酒好きで楽観的で誰よりも誠実な父親だった。
相続に関する申告の締切はまだ先。
手元には、山ほど仕事がある。
父が死んでも、世の中は特に変わらなかった。
期限も法律も、ニュースも気候も変わらなかった。
地球もそのままだった。
なんの変化もなかった。
手元の手帳しか、今年の父の生きた記録がなかった。
私はそれがとても悲しかった。
私の心だけが、ぽっかりと空虚なままだった。
時が経ち、
父が座っていた、父のデスクにある父の椅子に腰掛け、経費の入力としての役割を終えた手帳を、
鍵のかかった引き出しにしまい込んでいる。
2024.1.18 閉ざされた日記
木枯らし
誰に習ったわけでもないのに、
いつの間にか知っている言葉。
寒さや冬といったものは、どこか寂しいものがある。
木枯らしもまた、枯れ葉と共に冷たい風が、孤りの肌に響くような、孤独の寂しさがある。
かといって、日常で木枯らしにそんなことを感じたことは一度もない。
空の高さを感じ、雨が降り、紅葉色の絨毯が歩道に広がって、秋が始まる。そして、身が痺れるような寒い風が冬の訪れを知らせる。澄んだ空気と、日光にキラキラと光る雪が眩しい、明るい冬がやってくる。
木枯らしは、冬を求めるための一工夫だと毎年思う。
ああ寒い、いっそのこと冬が早くこればいいのに、と、一年かけて忘れていた冬の懐かしさを思い出させてくれる。私の木枯らし。
2024.1.17 木枯らし
美しいもの。
都会の寂寞のなかで忘れていたもの。
オレンジ色の街灯に照らされて、
音もなく降り積もる雪。
冷たさが肺いっぱいに広がる、澄んだ冬の空気。
晴れた朝に見える、広大な山脈。
あの頃、嫌というほど囲まれた自然から
逃げるように田舎を出たはずだったのに。
この冬、私は懐かしい故郷の美しさに、何も太刀打ちできなかった。
2024.1.16 美しい