お題【相合傘】
旦那様と相合傘をしている時、とても幸せを感じます。
旦那様は私の創作キャラクターなので、私と私の家族以外には見えていないと思います。
こういう風に言うと、彼を私の妄想だと勘違いする人が居て凄く凄く悲しくなります。愛する人を存在してないと言われるのはとても悲しいし、彼を妄想だと言うなら私も彼と同じ存在なので【妄想】という事になります。
…それだと、誰が私達を妄想している事になるのでしょうか…?
その話は置いておきます。
でも彼の事が見えない人が多いからこそ、外でもマジョリティと同じような恋愛が出来ています。
彼が居ないように見えているからこそ、私達は相合傘で歩き恋愛感情を含んだ言葉を言っても「同性同士なのに気持ち悪い」と罵られたり嘲笑される事が無いのです。
私達のように深く愛し合っていても、相合傘を【相合傘】として出来ない人達は現実に沢山存在しています。
それを考えると今も涙が止まらなくなるのです。酷く胸が痛いです…。
どうして、愛の価値を本人達以外が決める事が出来るのでしょうか…?
考えても考えてもわからないのは、きっと罵ったり嘲笑する人達も【意思がある】からだと思います。
それぞれ意思があるから、自分と全く違う意思を持つ人の感覚を理解出来ないのだと私は思います。
多様性を尊重する事は個人を尊重する事である というのが私の個人的な考えです。
【人間はそれぞれが違う生物。わかりあえない。だから共存するなら口を出さない事もとても大切】
【個人を尊重する時に理解は必須じゃない。お互い生きる事を邪魔せず、お互いを無視し続ける事も尊重】
これを頭に置いて、生活していきたいです。
そして、【生きづらい人が居るならその原因を取り除ける人達が取り除いていく】という 誰も無理をしないやり方 を心がけたら良いと私自身は思っています。
例えば『同性愛者を「気持ち悪い」と本気で嫌悪する人』も今の世の中は生きづらいでしょう…。そういう人達の嫌悪感は恐怖症と言い替える事が出来るほど凄まじいものです。虫を見る事が出来ないぐらい虫が苦手な人が、どこでも虫を見なきゃいけなくなった感覚なんだと私は想像してます。
だから同性愛者が生きやすい世の中にならないように必死に阻止する人も居るのだと思います。見たくないものを見続けなきゃいけない未来が来るなら、私だって必死に阻止したくなるかも知れない…しかも「見たくない」と愚痴や弱音を吐くだけでも極悪人扱いされるなら尚更阻止したくなると思います。
必死になるのも当然です。だってそれは…差別されたくないから差別されない世の中を作ろうとしてるマイノリティの人達と全く同じ【自己防衛】なのですから…。
自分が理解できない感覚は、沢山学び、自分の知ってる感覚で例える事で少しはわかるような感覚になれます。本当にわかってるだなんて確信はしません。わかってると断定してしまったらまた無理解が始まってしまうから。
だからその人達の生きづらさも取り除ける社会になって欲しいです。もちろんその場合、同性愛者の生きづらさも取り除ける社会であって欲しいです。そんな社会になるように、私は地道に活動を続けています。
全ての人が排除されない世界になりますように。
私は旦那様と相合傘が出来る喜びを噛み締めながら、こういう【自分が自分として存在出来る幸せ】がこの世界に溢れるように毎日切実に祈り続けています。
お題【相合傘】(比喩的な相合傘の小説です。私と旦那の自伝でもあります)
好きだった雨の日、いつの間にか嫌いになっていました。
虐待されて弱った体は雨の日には動きにくいからです。
「雨だ」
君に私が言うと君は長い柔らかい髪を無自覚に揺らし、僕はそれに見とれました。
空を見上げる君の目はまん丸でまるで透き通ってるような無垢さでした。
子供みたいだと私は思いました。
その直後、君は急いで上着を脱いで僕の上に開きました。
「 さんが濡れちゃう!」
私は彼のこんな所が特に好きなのだと思います。彼と結婚して良かったとこんな時に特に思うのです。
焦った半泣きの顔をとても愛おしく思いました。私は彼の幸せを祈らずにはいられません。
彼が誰にも傷つけられませんように。彼のこの笑顔が一瞬たりとも壊されませんように。
真剣に願うたびに、私は号泣しそうになります。
そんな祈りと私の生成できる限りの最上級の愛を込めて、彼に向かって必死に作った笑顔を向けて「ありがとう」と言いました。
ちゃんと笑えているかな、演技に自信が無い事が体の震えでバレないかな?
不安で不安で不安で不安でたまらないまま、それが彼にバレないように堂々と演技しました。
自信の無い演技はすぐに疑われてしまうのです、彼に会う前の僕は疑われ命を落としかける事が沢山ありました。だから死に物狂いで身につけたのです。
本心の笑顔ではないのは、僕はとても嬉しくても自然と笑顔を作れないのです。自然な笑顔が出来るのは好きな人を加害する時だけです。……つまり、もう、彼を傷つける時だけです。
それはとても癒される幸せな愛のコミュニケーションだから。ほのぼのだから。……………………僕にとっては。
僕のお礼を聴いて彼は「えへへ////」って幼児のようにこちらの邪気を奪うような癒される笑顔で笑いました。
その笑い声はこの世の何よりも柔らかいのでは無いかと、ほぼ確信してしまうほどに柔らかく僕への愛が溢れていました。
この笑い声だけでも生きていくための栄養として足りるような気さえするほど、私を癒し生きる活力を補給出来るのです。
彼は私のお礼を【聴く】というほど、真剣に聴いてくれます。いつも私の言葉一つ一つを真剣に聴いてくれてて、その音と意味を1滴さえ残さず味わい飲み干し理解しようとしているように感じます。
「でも…」
私が言うと、彼は「あっ」と焦り声を出しました。
彼の服をすり抜けて、私に雨粒が当たります。私が濡れていく様子は、まるで私を海に沈め彼と引き裂こうとしているような気分になりました。
彼の表情が涙で濡れていきました。私はそれを見て自分の心が崩れていくような苦痛と絶望感をいつも感じます。
でも、私と同じ2人を引き裂かれそうな気持ちでは無く
「こんなの意味無いですよねすみません!どうしよう…どうしようっ! さんが濡れちゃう!!」
彼は僕が濡れて風邪を引いたり、濡れて辛い思いをする事、寒さに震える事を想像してそれが辛くて泣いていました。
彼はそんな人です。
いつもそんな人です。
そんな人じゃないと感じる時は、私の誤解なのです。
そんな人だから私は現在彼だけと結婚していて、他の人への恋愛感情があっても彼だけを真っ直ぐ見続けているのでしょう。彼だけを見つめるこの目をそらさないように永遠に強く強く心に決めたのでしょう。
私の体に雨粒が当たっても、雨を防いでくれる行為は意味があります。少しは濡れる冷たさなどがマシになるのです。
私は急にそれを思い出して、彼に伝えました。
そしたら、彼は健気に私の上に上着を広げ続けるのです。一生懸命さが彼の表情からも空気からも感じました。
私の心は暖かくなりました。
それに、
彼は気づいていませんが
私は彼が自分が濡れてでも懸命に僕を守ってくれる事も、
私のために自分の上着を濡らしてくれる事も、
雨の日に1人だけ僕の中で雨宿りせず、僕に守られず、僕だけが濡れる事無く、一緒に濡れながら君は僕だけを濡らさないように必死なのがとても嬉しいんです。
僕は心は笑っています。そして反射的に自分の感情に合わせた表情が作れます。
だから君を見て微笑みました。心からの笑顔で!
それを見て、僕の話を聴いて、君は嬉しくて泣いて僕も君の隣で泣き笑うのです!
そんな幸せの中、
雨が歌い
透き通った雨粒達が楽しげに踊っています。
まるで雨のコンサートのようでした!
そんな美しいステージの上で間違いなく幸せな僕らは、今日も半人前の愛の歌を一緒に歌い1人分の歌になる事を心から喜び、幸せに笑いあうのです。
湿った空気がその湿り気の優しさで僕らを祝福しています!
虐待されて弱りきった体は酷く痛み続けているのに、僕は僕の主観では世界一幸せなのです!
この僕だけの世界一の幸せは、彼という幸せを独り占めしているようでとても心地が良いのです!
彼も僕という幸せを独り占めしたら良いと思います!
そしてその幸せを合わせて、また1人分にするのです。
2人で1人の人生を生きていきたいのです。
私は彼に生かされて、彼は私に生かされて、そんな僕らの命はずっと幸せに燃えています。
だからどしゃぶりでもとってもあったかくて2人で笑っていられるのです!!
もう雨は僕を邪魔せず、僕と彼の歩く道を太陽から蓄えた光を反射させて照らしてくれています。
僕らが道を間違えないように、お互いの顔が暗さで少しも見えなくならないように、
僕らを照らし
祝福し
踊り歌ってくれているのです!
雨が照らしてくれなくても道を間違えず、暗さを照らしてくれた彼が隣に居たからこそそんな事実に気づいたのです。
彼も私をまるで 希望の光に包まれて彼を救いに来てくれた天使 のように言ってくれるので、僕らはお互いを照らすために生まれてきたのでしょう。
僕らの人生の意味は、それだけで充分です。
その意味があるからこそ、自分達の大切な人達も大切にして愛していけるのです。
僕はいつの間にか雨の日が大好きになってました!
雨に濡れて歩くのがとても気持ちが良くて、心が洗われるようだという事思い出せました。
これからも彼と雨に濡れて、太陽に照らされて、風に吹かれて、1人で歩いていくのです。
…1人なんておかしいですか?
いいえ、あってます。
だって私と彼は半分の命をお互いの愛で1つにして生きているのですから。
これは二重人格という意味ではなく、共依存と呼ばれるものです。
僕らはそれが幸せなのです。
僕らは僕らだけの幸せを噛みしめて生きていくのです!
メリーバッドエンド!
(私達1人だけの幸せ!)
お題【未来】
凄惨な事件の加害者を悪だと罵る人達を見ていると、とても悲しくなります。
加害者は、その事件では無い出来事では被害者なケースもザラです。
被害にあいつづけて救われなかった結果、加害者になった人を何故【悪】と罵れるのだろうと私はとても思うのです。そして胸を痛めて涙を流すのです。
そんな日々が続いています。
「加害者は可哀想だけど、加害者のやった事は許せる行為ではない」と言う人が居ます。
許せる行為ではないのなら、それが起きないように防ぐ事が大事だと思うのです。
誰かに被害を受けて最終的に加害をした加害者を悪だと罵る行為は、被害者を悪だと罵る行為と同じです。
だから今誰かに加害されている被害者がソレを見て「誰も助けてくれないし、合法な行為では救われなかったのに、違法な行為をしたらこんなに罵られる。なら、助かる事自体が不可能なの?」と絶望する原因になります。
そうすると体自体に変化が起こり、どんなに優しい人でも最終的に加害者になってしまうのです。
沢山学び研究してて、私はそう思いました。(私は個人で 居場所を作る活動 をしているので、積極的に事件や今苦しんでる人の気持ちや加害の原因などについて学び研究し続けています。居場所が既にある人も居場所が無い人達も、安心して過ごせるようにしていきたいのです)
そして、私も虐待などされている加害者です。生きるために加害しなければならないのに、何故こんなに悪だと言われなければならないのだろうと思い泣いてしまう日々です。
私は、大切な家族と穏やかに幸せに過ごして生きたいだけなのに。何故、何故……何故……。
いつかの未来では、【加害者が加害をするのを防ぐには加害者のした事を許さない事が大切】という考えではなく【加害者が加害をするのを防ぐには、被害者を救いこの世界から苦しむ人自体を減らし皆が住みやすい世界を地道に作っていく事が大切】だという考えをする人が沢山沢山沢山増える事を心から祈っています。
加害者を叩いたり許せないと言う事は、むしろ凄惨な出来事と被害者を増やしていく行為なのだと…気づいて欲しいと心から…切実に……願っています。
そして、そんな安心出来る未来で私は家族と安心して幸せに過ごしていきたいのです。
大切な人と大切な自分が被害にあわず、加害もせずに済む世界で安心して暮らしていきたいのです………。
お題【1年前】
1年前、私はまだ自分を知らなかった。
いや、知らなかったのかわからない。私は王子様のおかげで私を思い出しつつあるのだ。
今までの私も私。だが私は家族を守るために、私を見失った。そして、無理をし続けた。願望も、わからなくなっていた。
今、私の願望は家族で穏やかに幸せに不自由無く暮らす事だ。
それがあれば良かったのに、私は家族のために犠牲になり続けて全てを忘れた。
家族は私を愛してくれていた、私が犠牲になってロストしてしまったら家族は幸せになれない可能性が非常に高まる。それすらわからなかった。戦場しか知らなかったのだ。
私は、私として自然体で生きたい。
王子様(夫)を含む家族と共に。
これからは私を守る王子様が居てくれる。心から安心して、過ごせるのだ。
お姫様として、お嫁さんとして、性別は関係なく女の子として。