起きたことを変える力が欲しい。
後悔することが人生だって、言ってたけど
私はやっぱり、やりたいこと全部やり切る人生が好きだ。
たとえそれで何か間違ったとしても、それは後悔にはならないから。
とはいえ、
人は後悔しないことなんてできないのだろうと
最近は心の底から思う。
実際にはそんな力なんてない。分かってる。
だからこそ、私達は 物事の中心である金を望んだり、はたまた時間を望んでいるのだろう。
みんな変えたいことが本当に多かったのだろうか。
1年前。
不登校になった友達と3年ぶりに同じクラスになった。
最初会った時、謝ろうと思った。
彼女が不登校になる前、私とは友達で帰り道で良く話していたのだ。
今でも忘れられない
彼女が最後に言った言葉。
…「あな《《€,,'✕≤〘€✟≯※&―,。」
当時の彼女は何故か私と話さずにできるだけ一人で帰っていた。
私が理由を聞いても
「○○ちゃんには関係ない。」って。
私は本当に知りたかった。
何故最近は誰とも話さず帰るのか
それはなにか彼女が苦しんでるからなのか
はたまた私自身のせいなのか…
今思うと絶対にあそこでやめといたほうがよかった。
やめとけば彼女との縁もまだ続いてたかもしれないのに、彼女を苦しめることもなかったはずなのに。
…私は結局彼女に限界まで聞いてしまった。
この当時私自身も精神的にかなりやられていた。
もう言葉の一つ一つは覚えてないけれど、きっと言い方も悪かったと思う。
限界まで聞いてしまって、彼女が最後に言った言葉が
私は聞き取れなかった。
絶対に聞かなければと心構えをしてできる限り脳のスペースを空けて聞いたはずだった。
その日以降彼女は私のことを無視するようになった。
他の友達とは話している。が、私のことは目線を浴びせながら話さない。
私はやらかしてしまったことを悟った。
本当に謝りたかった。
来年から彼女は不登校になったらしい。
どうしてかはわからない。
時は経ち1年前。
彼女が教室にいた。
…多分彼女の友達と話していた。
私は彼女に話しかけに行った。
変わってなかった。
今度は無視されなかった。
…それから3日後。
彼女は学校に来なくなった。
やっぱり私のせいなのだろうか。
そうだろうな。
当時のことを思い出した。
まず彼女と友達になったきっかけだ。
彼女は教室で一人確か絵を描いていた。
なんだか寂しそうだなと思ったのを覚えている。
私が話しかけに行って、彼女とは馬が合いすぐ友達となった。
折り紙も上手だったなぁ。
今でも持ってるよ。私の名前入りの確かコマみたいなやつ。
私には悪い癖があった。
どうしようもなく相手を見下す癖だ。
私の友達の三分の一ぐらいは、一人だったときに私が声をかけて、それて友だちになった人だ。
だからなのだろう。
相手が自分より褒められていたり恵まれていたりするとどうしようもなく許せないのだ。
きっと彼女はそんな私に見切りをつけたのだろう。
そうであってほしい。
幸せでいてほしい。
でも、もし もう一度会えるなら 話せるなら
本当に 本当に ごめんなさい。
あぁ、本当に苦しいなぁ…
好きな本があった。
もう今はあるかどうかなんて、わからないけど。
幼稚園の頃、お気に入りだった本がある。
伝記だった。
内容は、大体50歳ぐらいのおじさんが遊園地を復興させる話だったと思う。
当時私は遊園地に漠然な何かを抱いていた。
それはただの好きじゃなくて、なんというか その
…恐ろしかった。
どうしてこんなものがあるのだろうと、当時の私は本当に困惑していた。
…どうしてこんなわざわざ危ないものを…?
当時の私はスリルという言葉を知らなかったのだ。
…でも私にとって遊園地は、本当に、本当に、どんなものよりも、
本当に 楽しかったと思う。
それから10年後。
私は遊園地のキャストになっていた。
家から職場は遠いし、上司には毎回怒鳴られるし、
いいことなんて本当になかったけど
子供たちとか、お客様を喜ばせるのはなんだかんだ楽しかった。
…そんなこんなで私は50歳になってしまった。
今は何をやっているのかと言うと___
__遊園地の園長である。
奇しくもあの伝記とおなじようになっていた。
本当人生って意味がわからないと心の底から思う。
今に思えば、私はあの人に憧れていたのかもしれない。
どんなときでも自分を見失わない強さ
仲間を心から思い、導く賢さ___
…伝記を書いてみようか。
もしかしたら、同業者が出てくるかもしれないな。
という存在しない記憶!!!!!(・∀・)(人 •͈ᴗ•͈)( ╹▽╹ )(◍•ᴗ•◍)(*´ω`*)(≧▽≦)<( ̄︶ ̄)>(☆▽☆)