快晴である。
昨日の雨の気配はどこにもない。ようやく出かけられる。濡れるのが嫌で仕事以外の外出はしていない。
春という割に、ずっと引きこもっていた自分のための外出。
少し、春めいた空気に一駅先まで歩いてもいい。
春はやはり足取りが軽い。
どこへなりとも行ってしまえ。
大海原に地平線。そして遠くの空の向こう。
どこだっていい。
ただ関わりたくないのだ。
そいつがいるだけで調子が出ない。から回ってコチラばかりが不手際を起こすのだ。
八つ当たりに似たこれから解放されるにはそれしかないのだ。
遠くの空へ
言葉にできないほどに現状を受け入れがたい。
そして言葉にできない理由がもう一つ。
私の口に爆弾が押し込められていた。
手足を縛って椅子に括り付け、足元と口の中に時限爆弾。
徹底して私への殺意で酸欠になりそうだ。
今機動部隊が都着した。
もう彼らに託すしかない。
春爛漫と聞いて思い浮かぶのは桜より白詰草だったりする。
母親は手先が器用で私の遊ばせるためにと編み物でぬいぐるみやら帽子やらを編んでくれた。
マフラー一本満足に編めない私には神技である。
そんな母親にとって草木で冠を作るなど造作もなかった。
器用に白詰草を、時折タンポポを編み込んで私の頭に乗せてくれたのを今でも覚えている。
だから私は春が好きだったし待ち遠しくもあった。
流石にもう恥ずかしくて頼めないけど、春爛漫と聞くとやはりあの土と瑞々しい草木の香りに白詰草を思い浮かべるのだ。
春爛漫
誰かが誰かを見るように。私も誰かを見ている。
そして君は誰よりもずっと熱心に空を見ている。
誰かを見るのではなく、空を見ていた。
当時小学生だった私は不思議でたまらなかった。でも聞くのを躊躇って聞けずじまい。その熱心さは、宇宙飛行士をしているお父さんを思ってだと知ったのは中学卒業間近。
それから、念願の宇宙飛行士になったと聞かされたのは、就職して二年後だった。
あんまりのことに私も思わず空を見た。
誰よりも、ずっと