君と手を繋いだ事を思い出した。君の干からびたフランスパンのような感触の手は、当時の私にとっては何よりも心強かった。決して、裕福とは言えない暮らしだったけど、その欠落はむしろ僕たちを十分に満たしてくれていた。それは、あえて白黒の下書きで描き切るのを辞めた現代アートのようだった。
私は今自分の足がどこに接地しているのかが分からないんです。地面に着いてるような気もすれば、遥か高い雲の上に着いている気もする。薄志弱行の私には次の1歩を踏み出す勇気が無いため、今の自分の立ち位置が分からないままなんです。あなたは私のことを甲斐性がないと叱咤しましたが、全くその通りだと思います。私は窮鼠のように噛むことも出来なければ、狐のように誰かの威を借りる高慢さすら持ち合わせていないのです。虚心坦懐を志しても、行き着く先は頑迷固陋の優柔不断。あぁ、もう私はダメなんです。
空が大好きだ。どれだけ荘厳な山々を見ても、秀逸な絵画を眺めても、空には叶わない。空を見ていると、今自分が立っている地に畏怖を与えてくれるし、それは同時に憧れをも感じさせる。
もう少し前頭葉の発達が早ければ、僕は自分の望むような生き方っていうのを送れていたかもしれない。もう少し海馬が大きければ、僕は同じことを何度も覚え直すような無駄な時間を送らずに済んでいたのかもしれない。別に人格とか気質って言うのは、そこまで気に入っていない訳では無い。しかし、やはり頭の悪さというのは嫌でも自覚してしまうもので、それは種々の認知を当てはめても肯定できる類のものでは無い。どこまで言っても、先天的な頭の悪さは人生の足枷になる。
もうすぐ4月だ。僕らは1年という人生の膨大な時間の観念的な区切りに向かっている。そして、その我々の共通認識である4月は地球という具体的なシステムによって予感させられる。花の香りが漂っている。