(良くも悪くも)自分は特別だと思っていること
悪意を持っていること
他人を想像できないこと
絶対的な正解しかないと思い込むこと
裏返すなら
平凡であることを自覚していること
素直な誠意をもっていること
ひとと生きていることを想像できること
自分が間違っている可能性を考慮できること
夜が明けた。
たぶん今日も変わらないと思っていた日は、突然に終わりを告げた
準備はしていたけれど、それ以上に
いや、本当は準備できていなかったのかもしれない
ただ、切り離されたその時に
考え方が
行動が
すべてが切り替わった
みんなこうだったのかと思いつつ
ひとりのための人生が、終わりを告げた
愛を持って向き合えば必ず分かってくれる
という訳ではない
そんな単純なものではないし
自分の思うとおりに進むことの方が少ない
それでも
私たちは1人では生きていない
であるなら
人との関係は良好な方がいい
そこで必要なのは
自己肯定感ではない
アレは自己を肥大化させるだけだから
しなやかさに欠けるから
自分の中に必要なものは信念だと思う
自分の心を穏やかに保つために自己肯定感を使うのではなくて
信念を持って、信念に従って
生きていけば心は穏やかになる
自分だけの世界から、他者への大きな愛を持った世界に
生き方を変えられる
昔あった、アニメポケモンのアイキャッチの影クイズ
あれは、みんながこうだよね、とイメージできるものがあるから
あるいは、選択肢が絞られているから
どのポケモンか答えられるものだった
じゃあ、無制限のなかで
影絵だけを見て
なにものか判断できるだろうか
おおよその推測はつくかもしれないけれど
厳密には×で、あくまで自分の中の想像(妄想)の域を出ない
最後は、本体を見てみるしかない
勝手な想像で終わらせてはいけない
大元を確認することを怠ってはいけない
遠くから聞こえる声で、私は目を覚ましました
確か、こう言っていたと思います
状態が良くないので、もう一回手術が必要です
抜けきらない麻酔による気持ち悪さの中で、もう一度眠りに落ちました
中学生の頃には、既にそこを痛めていました
部活の顧問に勧められた治療によっても、また痛みが戻ってくる連続でした
別の病院でも、検査の結果、成長期によくある痛みだと診断されました
高校生や大学生の頃、何かが引っかかるような感覚をその部位に感じることがありました
今思えば、この辺りから徐々に状態が悪くなっていたのかもしれません
そして社会人になってすぐ
とある出来事が決定打になりました
手術は、状態がよければ一回
悪ければ、修復のためにもう一回することになりました
どうなるかは、一回目をやってみないと分からない、と
一回目は麻酔の効きもあまり良くなく、全身麻酔での対応だったため
記憶にはほとんど何も残っていません
ただ、手術が終わったあと、朦朧とする意識の中担当医から声をかけられたのは覚えています
そして術後の気分の悪さから、全身麻酔なんてあまりするものじゃないな、とも思いました