夢は、そこまでの道のりが見えていないもの
目標は、そこまでの道のりが見えているもの(もしくは見いだせる可能性があるもの)
とすると、夢なんてものはまあ叶わないよなと思うし
夢なんてことばで収めるから叶わないのだとも思う
小学校の頃、将来の夢を卒業文集に書かなければいけなかった
何になりたいのかが明確になかったぼくは、当時やっていたスポーツにからめて当たり障りのない、叶わぬ夢を書いたものだった
今思えば、「夢」としては間違いなかったのかもしれない
幼い頃はそもそも十分に視野が広い訳でもないし、
叶わぬ夢に思いを馳せるのでよいと思う
が、今となっては掲げるべきは目標である
多少叶う見込みが低くても
そのために何をするべきかを明らかにしていき
淡々とこなしていく力があるなら
目標を達成できる確率はゼロにはならないと信じて
記憶は他の情報と結びついて定着している
あるものは音楽と共に
あるものは景色と共に
またあるものは、香りと共に
構内に落ちて潰されていた銀杏の香りが
当時の喧騒と、その中を駆け抜けた努力の記憶に結びついている
もともと何かをやりきることは苦ではなかったから
決して特別なことではないし
逆転の物語でもないのだけれど
きちんと走りきったからこそ
今、やりたい事が輪郭を帯びてきたのだと思う
今度はすべてを
まわりの人や次の世代に返していく番だ
心のざわめき---心中穏やかでない様子
病気やストレスの話は置いておいて、ぼくの心がざわめく時はだいたい2つだと思う
①悪意のある言動
潜在的な悪意も含む
また、誠実でない、だとか、回りくどいやり方もここに含む
要は、相手に正面から向き合えないんだろうな、と感じたときがこれ
②周囲の人に迷惑をかける言動
悪意がなくても、まわりを考えられていない場合がこれ
ぼく自信は、①はやらないようにしている
これは決して聖人でありたいという訳ではない
voice or outという言葉がある
経営や株主に関する考え方で、
不満があるなら適切な場で(適切な手続のうえで)意見するか、その立場から撤退せよ、というものである
対人関係でも同じで、正面きって話せないなら関係から離れるべき、と考えている
きちんと話し合えないなら縁がなかったと思うし、何より悪意で繋がっているのが勿体なく感じる
②は、幼少期に教わらなかったりで、大きく個人差があるところだろう
それでも自分本位でいきなり動かず、まわりにどんな影響があるだろうか、とひとつ立ち止まって考えるようにしたい
平穏が崩れる瞬間は、また別のお話。
さっきまで一緒だったのに
どこかに行ってしまった
行動範囲はそんなに広くないはず
なのに、今はいない
思いつく場所はひととおり探した
よく行く所も探しに行った
隠れてるのかも、とも思った
違った、やっぱりいない
ひとりだと何か欠けたように感じる
このままだと先には進めない
次に会う時にも悲しい気持ちになってしまう
どうしよう、やっぱりいない
いつまでも探してられない
もしかしたら、先に行ってしまったのかも
だとしたら見つからなくても
ひとりでも進まなくちゃ
そうして次の日の朝
何食わぬ顔でクッションの下からあらわれた
こどもの片方の靴下
君を探して右往左往したけど、近くにいたのね
透明な君に
これから何者にもなれるねと
ぼくは黒く塗りつぶした