記憶は他の情報と結びついて定着している
あるものは音楽と共に
あるものは景色と共に
またあるものは、香りと共に
構内に落ちて潰されていた銀杏の香りが
当時の喧騒と、その中を駆け抜けた努力の記憶に結びついている
もともと何かをやりきることは苦ではなかったから
決して特別なことではないし
逆転の物語でもないのだけれど
きちんと走りきったからこそ
今、やりたい事が輪郭を帯びてきたのだと思う
今度はすべてを
まわりの人や次の世代に返していく番だ
心のざわめき---心中穏やかでない様子
病気やストレスの話は置いておいて、ぼくの心がざわめく時はだいたい2つだと思う
①悪意のある言動
潜在的な悪意も含む
また、誠実でない、だとか、回りくどいやり方もここに含む
要は、相手に正面から向き合えないんだろうな、と感じたときがこれ
②周囲の人に迷惑をかける言動
悪意がなくても、まわりを考えられていない場合がこれ
ぼく自信は、①はやらないようにしている
これは決して聖人でありたいという訳ではない
voice or outという言葉がある
経営や株主に関する考え方で、
不満があるなら適切な場で(適切な手続のうえで)意見するか、その立場から撤退せよ、というものである
対人関係でも同じで、正面きって話せないなら関係から離れるべき、と考えている
きちんと話し合えないなら縁がなかったと思うし、何より悪意で繋がっているのが勿体なく感じる
②は、幼少期に教わらなかったりで、大きく個人差があるところだろう
それでも自分本位でいきなり動かず、まわりにどんな影響があるだろうか、とひとつ立ち止まって考えるようにしたい
平穏が崩れる瞬間は、また別のお話。
さっきまで一緒だったのに
どこかに行ってしまった
行動範囲はそんなに広くないはず
なのに、今はいない
思いつく場所はひととおり探した
よく行く所も探しに行った
隠れてるのかも、とも思った
違った、やっぱりいない
ひとりだと何か欠けたように感じる
このままだと先には進めない
次に会う時にも悲しい気持ちになってしまう
どうしよう、やっぱりいない
いつまでも探してられない
もしかしたら、先に行ってしまったのかも
だとしたら見つからなくても
ひとりでも進まなくちゃ
そうして次の日の朝
何食わぬ顔でクッションの下からあらわれた
こどもの片方の靴下
君を探して右往左往したけど、近くにいたのね
透明な君に
これから何者にもなれるねと
ぼくは黒く塗りつぶした
東洋の考え方では、時間は循環するものという
春に芽吹き、夏に草葉が茂り、秋に色づいて、冬に枯れ、また春が来る
ぼくたち人間も、直線的に歳を重ねつつ、循環の積み重ねの中で生きている
だから、過去に経験したものも今に活きるし
今は未来のためにある
また、循環するからこそ、今を集中して生きることもできる
終わりは始まり
始まりは終わり