「つまらないことでも笑い合えるような人生を生きたかった」
私はよく悩む人だ。
「修行みたいな生き方してるね。」
と苦笑して言ってくる人もいた。
どうせ私の悩みなんか分からないのに好き勝手言うな。
私は頑張って生きてるのに。
…私もそんな風に軽やかに生きられたらいいのに。
怒りと悲しみに満ちたやるせない気持ちになった。
けれど大人になって少しずつでも、悩む生き方を受け入れられるようになった。
悩んだ分、人に優しくなれた。
悩んだ分、自分らしい生き方を模索できた。
悩んだ分、他の人にはない時間を過ごせた。
少しずつ、心のゆとりや経験を持つことができていて。
そして私は気づく。
修行みたいに悩んで生きているけど、
昔よりはつまらないことでも笑い合えるようになった、と。
笑い合える人に出会えていると。
この調子なら人生終わる頃にはつまらないことで笑える達人になれるのだろうな。
「もう生きるのがしんどい」
そう思うとき、ここは悪夢の中で目が覚めたら全てがなかったことになってほしいと願う。
あの世に極楽浄土があるとすれば
私たちは現世という悪夢の中で眠り続けているのではないか?
そう思えば辛い私も、亡くなった大切な人たちも報われるのではないか。死はあの世への目覚め?
「生きるのは大変だけど、幸せもあるからそう悪くもないなぁ」
そう思うとき、ここが目が覚めた先の世界であると疑わない。寝ている間は単に夢の中。
生きている今しか感じられない経験や豊かさがあり、死は終わりを意味する。
目覚めた世界で死者と相見えることはできない。
だが大切な人との記憶を脳でなぞることはできる。
幸せなとき、辛いとき。
目覚めた先の世界を捉え直して私は生きていく。
この世を去りあの世へと目覚めるまでずっと。
祖母の最期看取ったことがある。
病室に行ったときにはほぼ意識がなく、母の呼びかけにも曖昧な返事を返していただけだ。
「あぁ、もうすぐ亡くなってしまうのか」
漠然と死を受け入れていた記憶がある。
長生きをしていたから。
大病を患うことなく、寿命を全うしていたはずだから。
*
私の母がちょっとした手術で1泊2日の入院をしたことがある。
手術が終わったあとに、病室に行くと
酷く憔悴した母が居た。
何となく動揺しそうになった。
元は日帰りで帰れるかもしれない、と言われていたからそこまで深刻に考えていなかったのかもしれない。
結局母は翌日問題なく帰宅してきたのだが、
そのとき初めて死が過ぎった。
母が死んだら私はどう生きていくの?
どう受けいれられるの?
あと何年一緒に過ごせるの?
当たり前が当たり前でないことを今更のように実感した。
*
祖母の死と母の死は比較できるものではないけれど
自分の親だからこんなにも重みを感じるのだろうか。
私がすんなりと受け入れた祖母の死に対し、
母は重みを感じていたのだろうか。
それが分からぬように、大人びた振舞いをしていたのだろうか。
祖母の病室にいた母と、母の病室にいた私が、少しだけ重なっているように見えた。