お茶の子

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祖母の最期看取ったことがある。

病室に行ったときにはほぼ意識がなく、母の呼びかけにも曖昧な返事を返していただけだ。

「あぁ、もうすぐ亡くなってしまうのか」

漠然と死を受け入れていた記憶がある。

長生きをしていたから。
大病を患うことなく、寿命を全うしていたはずだから。



私の母がちょっとした手術で1泊2日の入院をしたことがある。

手術が終わったあとに、病室に行くと
酷く憔悴した母が居た。

何となく動揺しそうになった。

元は日帰りで帰れるかもしれない、と言われていたからそこまで深刻に考えていなかったのかもしれない。

結局母は翌日問題なく帰宅してきたのだが、
そのとき初めて死が過ぎった。

母が死んだら私はどう生きていくの?
どう受けいれられるの?
あと何年一緒に過ごせるの?

当たり前が当たり前でないことを今更のように実感した。



祖母の死と母の死は比較できるものではないけれど
自分の親だからこんなにも重みを感じるのだろうか。

私がすんなりと受け入れた祖母の死に対し、
母は重みを感じていたのだろうか。

それが分からぬように、大人びた振舞いをしていたのだろうか。

祖母の病室にいた母と、母の病室にいた私が、少しだけ重なっているように見えた。

8/3/2023, 3:50:09 AM