飛べない翼と言われると、ちっと歴史とか好きならイカロスを思い出すんじゃないか。俺も名前は知ってるが詳しくはよく知らん。イカロスは空に飛ぶのを憧れて蝋で固めた翼を作り、空を飛ぼうとしたが太陽の熱で蝋は溶けてしまいイカロスは墜落死したとそう言われてる。
いわば、憧れるものに対して一生懸命になったがどうしようもなかったと悲しい話だ
イカロスもよう頑張ったで、俺やったら空は飛びたいと思うけど、難しそうやから諦めてると思う。
だが、挑戦することは良いと思う。イカロスは中傷の的の様に使われるけど、何かやろうと行動することは実はなかなか出来ないことだ。ほんまは讃えるべきである
それを笑うなんて。紀元前頃から無理難題と言われてることに挑戦する人を嘲笑する人々はなぜいるのだろう。
人の本質は長い事歴史が積み重なっても変わらないようなことがあるんだな。
多様性と言われてる時代。良くも悪くも人は変わってきていると言われている。
もう多様性でも何でもええから、一定多数いる他人を中傷するのに躊躇がない奴らは淘汰されて欲しい
俺もイカロスと比べては月並みだが、これから勉強に重きをおいてやっていきたい。
俺は飛んでみせるぞ、イカロスよ。
ラブリーちゃん
どうか考えてみてほしい、あの時ああすればもっと幸せだったのかと後悔することはないだろうか。俺はある、まぁまぁ後悔してることが。それはひいおばあちゃんの家に泊まらなかったこと。俺は幼い頃から両親の仲が悪しなのよ、俺の親権を巡って。結果、離婚もせずなぁなぁの状態で母と二人暮らしそれが10と何年か。そして20代になり、頭の中に大人の色が入り始めた頃、度々地元に帰るたびに離れて暮らしてるひいばあちゃんに会うんだわ。日帰りで。長くいると母親もしんどいんだろうな、まぁ気まずさは半端ないだろう。そんなことから夕方頃には帰るんだけど、必ずばあちゃんは「もう帰んのかぁ、泊まってけー」と言う。俺は毎回次はそうすっからなぁと言う。それが何回も続いた。そんなこと言わず一日でもいいから泊まればよかったのだ。
ばあちゃんは今年の春頃に死んだ。長い事看病してくれた親戚の叔母は強く優しかった。
葬式はばあちゃんの若い頃などの写真を実家で見つけた。大分前に死んだ曾祖父ちゃんとの写真。その時代では珍しく爺ちゃんが嫁ぎに来たそうだ。愛に包まれてる、シワシワの優しさが幾重にも重なってできた二人だった。やっと向こうで会えるやんけ、ええやん。
だがごめんよ、泊まらなくて。震災以降、避難先の家など環境も目まぐるしく動いて地元の友人もあまりおらんなか寂しかったんかな。でも顔を変換するアプリでとった写真を見て笑ってたから良かったのかな。
俺も愛してる。申し訳ない、今は何もしてなくて。俺も長い休みは終わりにして頑張るよ。だが、まだいかないで欲しかった。話すことがあったから。
まぁ数十年後にくたばったらよ、たっぷり土産持って行くからなばあちゃん。
ご苦労さん
ラブリーちゃん
「力を込めて」について書けとのことですが、直近で言うなら糞を出す時のことしか思い浮かばん。何であんなに力を込めるん?なんだかたまに献血後に糞を気張って出そうとして血圧が低下して気絶する人がいるらしい。なんであんなに力入んねん、身体の要らんもの出すのに力がなんで必要なんや、「えいっ」とか言ってスッと出るようにせんかい。老人になったら気張ったその勢いで全身の血が下半身に行って頭真っ白になって死ぬこともありえるんじゃねえか?そんなん悲しいやん。死因が糞気張りって。
まぁええわ、誰か金貸してほしいほんまに
ご苦労さん
ラブリーちゃん
俺はてんびん座だ、てんびん座はどんな人間ともバランスよく接することができるらしい。
クソバカが、相当なお人好しか生まれてから籠の中でしか育てられた脳の茹だった人間が考えてんのか。ワシは全然他人の性格や話してみての人となりで好きか嫌いか分かれてるわ、そして嫌やなと思ったやつはマジでクソなやつしかおらん。わしのてんびん傾きすぎやろ、置いてるところの床液状化してますよ。反面、好きなやつはとことん好き。スーパー愛してるわ、ほんまにいつもすまんなそんでおおきに、死んでもなんかしらで会えたらええわなぁ。
まぁ、嫌な奴でもそいつから何か得られるものがあったらそこをパクる、俺のものにして後は用済み。アナルパン
ラブリーちゃん