大きい声を出さないと届かないというのは分かっているのに、小さい声しか出せない。
ずっと昔に、お喋りをしてはいけない時に友達と話をしてしまって、声が大きくて全部聞こえてたと注意されてから、声を抑えるように気をつけていた。
そうしていたら、いつの間にか大きい声が出せなくなってしまった。
大きい声で話さないといけないと分かっているのに、声を出すといつも小さな声になってしまう。
私の記憶の地図は所々欠けていると思う。
母の実家に小さい頃から何度も行ったというのに、そこへ行く道のことを途中までしか覚えていない。
木の絵が描かれた建物を曲がったら、もう少しで着く、嫌だなという気持ちだけは強く残っている。
母の姉夫婦が住んでいるのだが、優しい人達なのに、そこに行くのが嫌だなという気持ちがなぜか強かった。
自分の家じゃないから嫌だったのか、他の理由で嫌だったのか、今はもう覚えていない。
花柄の可愛いティーカップと耐熱ガラスのティーカップが視線の先で割れている。
洗剤をつけたスポンジでマグカップを洗っていたら、手が滑って、シンクに置いていたティーカップの上に落ちてしまって割れたのだ。
花柄の可愛いティーカップはまだ三回くらいしか使っていなかったし、耐熱ガラスのティーカップは探すのに苦労したものだった。
その中で一番値段が安いマグカップだけが何事もなかったように無傷だった。
もしも君が家族じゃなかったら、こんな風に話をしたり、私のことを心配してくれることなんてなかったのだろう。
私達は双子なのに見た目も性格も似ていなくて、一緒に出掛けて買い物に行っても、店員さんに仲の良い友達同士なのだと間違われる。
君が他人だったら、学校で一緒のクラスになったとしても、仲良く話をしたり、一緒に出掛けることなんてなかったんだろうなといつも思っている。
学校に行くのが嫌で、わざと遅い時間に家を出て、いつも乗る時間のバスじゃなくて、次の時間のバスに乗った。
バスの中は3人くらいしか乗っていなくて、何となく運転席の後ろの席に座って、窓の外を眺める。
見慣れた景色、通り過ぎる時に見えた時計の針は完全に遅刻の時間。
学校の近くまできて、ふと正面を見ると、天気が良かったから、住んでいる県の象徴だと言われている山がはっきりと大きく見えて、学校の近くからこんなに美しく見えたのかと初めて気付いた。
バスだから、少し高い位置から見るかたちになって、余計に美しく見えたのかもしれない。