月風穂

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1/22/2024, 12:51:17 PM

【タイムマシーン】

すでにタイムマシーンはある。
私たちの周りには未来人がいるし過去人もいる。
皆気づいていないだけなのだ。

考えてもみてほしい。
今日すれ違った人のことをみんな知っているだろうか?
ほれみたことか。知らない人ばかりである。
彼らが私たちと同じ時間を生きているとは証明できないのだ。
彼らは私の知らないところで、やり直したい過去と見てみたい未来へと到達している。
だが今の自分の時間を疎かにしているぞ。
彼らは気づいていないのだろうか。
他の人の人生の影響も考えないで身勝手な者ばかりである。
彼らの隣には例の青ダヌキがいるのだろうか?


いつも隣にいる友だちも、寄り添ってくれる恋人も、手を繋いでくれる家族も。
たとえ彼らが時空を越えた異邦人であったとしても、私はすべてを愛す。
こんな私と時空を越えて関わってくれるのだ。
そんな彼らは到底まともではないが、私と会うことを選んでいるのだ。
まともでないから私を選んだのか。
それならば納得である。

私はタイムマシーンに乗れない弱者である。
過去などとうに過ぎたし、未来など見たくもない。
対した手応えのない毎日だが、捨てたものでもない。
今日は定時上がりでこの文章を書いている。
読んでくれる人がいる。
この時間を愛せず、何を愛せるだろう。


…やり残した仕事を思い出した。
タイムマシーンに乗れないことを悔やむ。
明日の私よすまない。

1/21/2024, 12:11:47 PM

【特別な夜】

人は生きているとしょうもない出来事に遭遇する。
大学の時分の知らない奴らとの飲み会である。
仲の良い友だちとは違うのだ。

「○○も行こうぜ!」と誘われ、「この後バイトがあるから(嘘)」などと言える度胸はない。首根っこを捕まれながら大人数で店へと向かう。
数時間の時間と金をムダにし、気配を消して家路へと急ぐ。
どうやら二次会が行われるようだ。
「あれぇ?こんだけしかいなかったっけ?」などと大声が聞こえてくるが知ったことか。
気配を消した私のような奴が何名かいたようである。健闘を祈る。

ここから1時間半かけて帰らねばならぬ。田舎者はつらい。
終電は23:00すぎと都会よりも早い。
田舎は爺さん婆さんが多いのだ。この時間でも随分良心的だ。
この時間に乗ってくる爺さん婆さんがいたら心配である。

何回か電車を乗り換え、ようやく終着駅に到着する。
駅を降りるとすぐ私は耳からイヤホンを外す。
親が迎えに来てくれるからではない。私の親はもう既に夢の中だ。薄情である。


静まり返った駅。
日中でもシャッターが多く降りた駅前は、不思議なことに日中よりも寂しさを感じない。
電灯の明かりはまばらだが、私の足元を確かに照らしてくれている。
誰も付いてこない、ひとりだけの道を私は歩く。
家まで10分ほどの田舎道。
途中電灯がなくなり、月の明かりで照らされる。
周りの田んぼは冬の様相を呈している。
冬になると生き物たちの声はほとんど聞こえない。
通りすぎる家々の明かりは頼りなく、この時間に歩いているのは私だけという事実が強調される。
顔の横を撫でる冷たい風は、私が着実に歩みを進めている証拠なのだ。

この瞬間が私にとって特別な夜だ。
同じ土地にいた昔の人々もこんな景色をみていたのだろうか。
私が幾度もなく歩いているこの道は何百年、いや何千年もの時間、多くの人が足跡を残している。
そんな足跡を私も残すことができる。
私は名前も顔も知らない人たちのことを考えている。
柄にもなく、こんなことを考えることができる私をなんだか素敵だと感じてしまう。
まぁこんな夜くらいいいだろう。

皆にとっては何でもないが、私にとっては特別な夜なのだから。

1/20/2024, 12:25:12 PM

【海の底】

伊能忠敬はすごい。
私は1日に最大1万5000歩を歩いたことがあり、友に自慢していた。
伊能忠敬は1日に推定約5万6000歩歩いたという。
私が本気を出したら歩けるだろうか。本気を出すまでもない。私の本気は1万5000歩なのだ。
伊能忠敬に勝とうなど百年早いのである。

海の地図はあるのだろうかと気になった。
海図とでも言うのだろうか。
調べてみるとあった。
なんと、またも伊能忠敬である。
なんということだ。ここまでくると気味が悪い。
だが私は彼をすごいと思っている。ここもすごいと言っておこう。
正確には彼の死後弟子たちが沿岸部を完成させ、その先は海上保安庁となっている。
だとしてもである。

彼が生きていたら、海の底にまで興味を持ったであろうことは想像に固くない。
生涯歩き続けた彼は、きっと海の底までも歩いて行くのではなかろうか。
水圧などにも屈しない。
海の底は真っ暗であるが、彼が測量すれば暗闇も光輝きそうだ。
彼はそういう存在なのだ。


伊能忠敬はすごい。
私が千年かかっても彼に勝つことはできない。

1/19/2024, 12:12:32 PM

【君に会いたくて】

「ただいま。カブトムシもらってきたぞ!」
カブトムシが父と共に帰ってきた。
「わぁ~すごい!かっこいいねぇ。」
小学2年生のわたしは飛ぶように喜んだ。
当時のわたしは虫が好きでも嫌いでもなかったが、カブトムシはかっこよくて好きだったのだ。
「よかったね!大切に育てないとね。」
嬉しそうに語りかける母であるが、母は今も昔も虫が苦手だ。
おそらく家にいる間世話をみるのは彼女である。その笑顔は苦笑いであった。

田舎であったため、カブトムシは採ろうと思えば採れた時代だ。
そういえば当時ムシキングというものがあった。
流行ってはいなかった。あったのである。
田舎でよくみる虫を、誰が好んで2次元の写真だけで喜ぶのであろう。
都会であれば需要があったかもしれないが、田舎の子どもたちには本物が身近にいたため、興味をひかれることはなかった。

ムシキングのなかでも弱い扱いを受けている虫たちは、どんな気持ちで生きているのだろうか。
彼らはその事実を知らないまま生きている。
私もヒトキングというものがあったら弱い扱いであろう。他人事ではない。


私は小学2年生当時のわたしに会いたい。
今ひとりで静寂の中の部屋にいる。
どこからかがさがさと聞こえる不気味な音に、不安を抱えている。
あれから時が経ち、私はどうやら母に似たようだ。
虫が苦手になったのだ。
この部屋にいるであろう虫を好意的に受け入れられる私はもうこの世にはいない。
あの当時のわたしがいてくれさえすれば、不気味な音を立てている存在に立ち向かえるだろう。

無惨にもそんな奇跡は訪れないのだ。
私は今から恐怖の一夜を迎える。

1/18/2024, 12:23:46 PM

【閉ざされた日記】

閉ざされた日記。
何ともお洒落な言い回しである。
ゲームであれば謎を解くキーアイテムとなるに違いない。
かくいう私の部屋にも閉ざされた日記がある。
普段日記を書かない私が日記を書く時期は2回訪れた。

1回目は小学5年生のときである。
宿題として毎日日記を書くというものであった。
「書く内容はなんでもいいぞ。」
という先生の言葉を真に受けた私は、その日の夜ご飯のからあげが人生で一番美味しかったことを綴った。一番である。二番ならば言うまい。一番である。二度は言うまい。
次の日の先生からのコメントには、
「学校では楽しいことはなかったのかな?」とあった。
何とも手厳しい言葉だ。短い言葉のなかに、鬼気迫る表情が浮かび上がる。
先生にとってからあげが美味しいことは、日記に書くほどでもない当たり前なことであったのだ。
先生の実家はからあげ屋に違いない。

翌週から「日記のお題を出すから、その内容で書いてきてね。学校であった楽しかったことは?」と、笑点の桂歌丸じみたことを言い出した。
先生は笑点が好きに違いない。
「うーん、何を書こうね?」
と友だちと談笑したことは今でも覚えている。
そんな日記も1年で終了となった。

今にして思えば、日記の内容を自由にさせたところ、あまりにも生徒たちの内容が酷かったため、苦肉の策として先生は題材を与えたのだろう。他の先生からこのことでいじめられはしなかっただろうか。心配である。
あくまでも気づかれぬように題材を与える先生の優しさが今になって染みてくる。


さて、2回目は大学4年の丁度就活の時期である。
人は苦しいときに自分の感情を吐き出す場所を望むのだろう。
最初のうちは就活でがんばる自分を励ます内容であったが、次第に落とされた企業に対する罵詈雑言が並べ立てられることとなる。
立川談志もびっくりである。
何度「世界よ滅びろ。人類なんかいなくなれ、」と書いたことか。望みとは裏腹に、世界や人類が滅びなかったことは感謝したい。
苦しかった就活がようやく終わり、ハッピーな毎日が訪れた。
その日から私の日記はその日のメモと化し、時折気味の悪いポエムが綴られている。
こんな歳で中二病のような日記を綴っていることに、この当時の私は気づいていない。


今でもこの日記は私の部屋にある。
捨てた先で誰かがこの日記を読むと想像するだけでも身の縮む思いだ。
人の名前を書くと死ぬという「デスノート」ではなくとも、私はこの日記を読まれた瞬間死ぬだろう。
つまり私にとってこの日記はデスノートなのだ。
私が死んだとき、この日記は私の死の謎を解くキーアイテムという大役に抜擢される。

接着剤で本当に閉ざされた日記にしてしまおうか。
いまだに捨てることも閉ざすこともできない私は、これから先もこの日記を大切に保管し、新たな日記を書くことはないだろう。

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