私の名前は
父親が役所に提出する際
直前で
「これ逆の方が可愛くね?」
みたいな軽いノリで
書き直して提出したという
父親の超絶適当エピソードがある
(例 晴美→美晴みたいな)
母親がよく怒らなかったなあーと思う(笑)
私は気に入ってる
「私の名前」
私の子供たちはすごい
素晴らしい作品を作ったり
ある分野で一番になったり
才能もあると思うけど
本人の努力がとにかくすごい
尊敬してるし、周りから褒められると
親としてすごい優越感
(私は何もしてないけどね)
なのに
本人たちは劣等感のかたまりなんだよ
いくら賞を取ろうが
褒められようが
コンプレックスから抜け出せない
そしてまた
次へ次へと進んでいけてるのが
またすごい
上手く言えないけど
良い作品を生むには
劣等感がある程度必要なんだろうな
人が思うのと、自分で感じる自分の評価って違う
なんだか私ばかり優越感感じちゃって
申し訳ないくらいだけど
時には自分てすごい
って 優越感に浸って
調子乗ってもいいんだよ
って我が子たちに言いたい
優越感、劣等感
自分の当たり前が
必ずしも他人の当たり前ではない
ってことを
意識して人とは付き合っていかなければ
と思う
他人からされた時にね
ほんと思う
価値観の押し付けをする人は
そんな想像力もないんだろうね
私の当たり前
不眠症だった時
寝るの諦めてよくドライブしてた
コンビニの明かり見つけると
すごく安心したなあ
起きてる人がいるんだ、って。
街の明かり
私はもう充分に大人だが
中学生の時の友だちとの出来事で
何十年も支えになっていることがある
その友だちに悔しくて悲しい出来事があった。
どうなぐさめていいかわからなかったその時
「ちょっとここ貸して」
と、私の肩を指さして
彼女は私をハグする形で
静かに
ただ静かに泣き始めた。
2人して黙ってた
数分後には
「ありがとう!スッキリした。
あなたがいて良かった」
友だちはそう言って笑った。
むりやり作った笑顔には見えなかった。
私は何もしてないけど
大切な友だちの役に立てた。
自分てなんの価値もないって
自信のかけらもなかった中学生の私。
すごく嬉しかったんだ。
もう絶対忘れてるし
付き合いもない
その時だけの友だちだけど
彼女の言葉が
私の人生支えてくれてます
友だちの思い出