久しぶりの『クジラの落とし物』更新です。
もう長らく更新していないので、第一話からのあらすじも併せて。
【第六話までのあらすじ】
崩壊目前の仮想世界でNPCとして生きるセイナとマドカは、川を流れる「優先搭乗券」を拾う。新世界への移行を夢見て「世界の端」を目指すが、NPCでは通ることのできない見えない壁に阻まれる。村で娘・ホヅミを探すプレイヤー・ユミと出会い、搭乗券の持ち主である『ユト』がホヅミを捜索していることを突き止める。
一行はユトがいる『クジラの丘』へ向かうも拒絶され、一時避難した教会でホヅミの歌声が入った音声データを発見。データ転送に巻き込まれる形で『祝福の湖』へと飛ばされ、崩壊しかけた女神と対峙する。
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第七話『偽りのクジラ』
私は森の中にぽっかりと空いた穴のような湖を前に、しばらく呆然としていた。
祝福の湖――。噂には聞いたことがあった。プレイヤーのランクに応じて、願いを叶えてくれる女神。その声は聞き惚れるほどに美しいと。だが、いま私たちの目の前にいるのは、顔の半分をバグに侵食され、擦れたテープのような声を発する『女神だったもの』の姿だった。
「苦しいわよね……」
隣でユミがつぶやいた小さな声に、私の胸が痛む。その声は目の前の女神に充てられたようであり、病床に眠るホヅミの姿もちらつかせた。
『エラー、ユーザー……認識、不能……』
静まり返った森に響くノイズ混じりの声に、言いようのない恐怖を覚える。
マドカが私の服の袖をぎゅっと掴んだ。相変わらず冷たいその指先がわずかに震えているようだった。
「ねえ、セイナ……これ、本当に女神様? 壊れたおもちゃみたいだけど」
「……ひどいバグね」
この世界に居続ける者の成れの果てを見るようで、私は思わず息を呑んだ。
『未登録……データ、排除……』
「待って、私たちは――」
否定しようとした言葉が違和感にかき消される。懐の『優先搭乗券』が、女神の放つノイズに共鳴するように熱を帯びた。
女神の首が鈍い音を立てながら不自然に傾き、目から放たれた青白い光がカードと私の姿を交互になぞる。
『ID照合……完了。……ユト……。クジラ。……おかえりなさい、ませ……』
「いま……、なんて?」
私は呆然と立ち尽くした。霧が晴れるように女神の敵意が消えていく。代わりに、静かで無機質な『歓迎』の空気が辺りを満たす。
「……ねえ、セイナ。いまの聞いた?」
マドカの声が、妙に明るく弾んだ。彼女は恐る恐る私の影から顔を出すと、バグった女神をまじまじと見つめた。
「『ユト』って言ったよね? この女神様、なんか勘違いしちゃってるみたい」
「ダメよ、本当のことを言わなきゃ……」
「本気で言ってる?」
マドカが私の前に回り込み、その瞳を爛々と輝かせた。
「これって、最高のチャンスじゃない。このままユトのふりをすれば、クジラの丘にだって入れるかもしれない」
「でも、もしバレたら……」
「バレるも何も、この世界はもうバグりかけなんだよ。正直に生きても消えちゃうんなら、嘘でも生き延びる方がずっと賢いと思わない?」
マドカはそう言うと、わざとらしくコホンと咳払いをして、女神に向かって胸を張った。
「えぇ、女神様。私たちはユト御一行よ! 訳あってこんな姿だけど、本物なんだから。さあ、クジラの丘に帰らせて!」
マドカの変わり様に半ば呆れながらユミの方を振り返ると、ユミは苦しげに胸元を押さえて膝をついていた。
「ユミさん!?」
「大丈夫……少し目眩が……」
そう言って顔を上げたユミの声は掠れていた。女神の顔を見つめるユミの顔は、まるで死の縁に伏す愛する人を見つめるような、悲痛な光を湛えている。
「行きましょう……。もう、私たちには時間がない。お願い……私を、ホヅミのところに……」
ユミの声に切実な想いが滲む。
私は唇を噛み締め、手の中の搭乗券を強く握った。
「……わかりました。女神様、私たちをクジラの丘に……」
言葉にした瞬間、心臓が軋むような音を立てた。自分ではない誰かを名乗ることへの、生理的な拒絶反応。けれどそれ以上に、私の魂の深い場所が、ユトに会うことを望んでいた。
『要望を……受理します。……ランク証明の……再発行を実行……』
女神が両手を広げた。その指先から放たれた青白い光が、私たち三人を包み込む。
「痛ッ――」
その瞬間、まるで全身の皮膚の下を、無数の針が這い回るような感覚に思わず声が出る。
ふと自分の左手首を見ると、そこにはクジラの尾を模したような、歪な光の紋章が刻まれていた。それは脈打つように赤く点滅し、ノイズを撒き散らしている。
『さよう……なら、この世界に……祝福を……』
女神の姿が、最後の一言とともに湖の霧のなかに消えていった。
同時に、世界が大きく揺らぐ。足元が軽くなり、私たちは真っ逆さまに、光の穴へと吸い込まれていった。
鼻先に甘い鼻の香りがかすめ、頬を暖かい風が撫でる。ゆっくりと目を開けるとそこには晴れ渡る青い空と緑の丘が広がっていた。
丘には立派な家々が、互いの資産と心の余裕を競い合うように広く間を取って建ち並んでいた。見上げれば、薄い絹のような雲が漂う空には、大きな月が微かに見える。未だにデータの塵を吐き出し続け、すでに半分ほどがえぐれていた。
「……ここが、クジラの丘?」
マドカが真っ先に立ち上がり、ドレスの砂を払って感嘆の声を上げた。
「ユミさん、大丈夫――」
私はユミに手を貸そうと彼女に手を差し伸べた。しかし、そこで目にしたのは、まるであの女神のように体の節々にノイズの走る、ユミの姿だった。
遠い日のぬくもりを思い出そうとして
何も浮かばないということがあるだろうか。
もしそんな事があればそれは絶望だ。
そして私はいま、その絶望のなかにいる。
思い出そうと記憶の壺に手を入れて探ってみても、そこにあるのはただの空気。空振るばかりで具体的な映像が浮かんでこない。
全く誰の愛情を受けてこなかったというわけでもない。
両親共働きで鍵っ子だったが、夕食の時間は遅くなっても食卓はいつも家族全員で囲んでいたし、衣食住に困ることもなく、大学まで通わせてもらった。
幼い頃に遊んだ顔もいくつか思い浮かぶ。かつての恋人も。でも、具体的にいつ『温かさ』を感じたかと問われれば、ここだと言える確信がない。
ざっくりと全体を囲ってしまえば、それをぬくもりと呼べるのかもしれないが、もやもやと漂う湯気のようで具体を持たない。
そもそも私にははっきりと思い出せる幼い頃の記憶が数えるほどしかない。
事故で記憶を失ったとか、強く頭を打ったということも、大きなトラウマがあるというわけでもない。
ただ単に長年記憶の棚卸しを怠ったせいで、次々に入ってくる『覚えなければならないこと』に圧縮され、手の届かないほど壺の底に追いやられてしまった。
それはきっと、人との深いつながりを避けてきたからに他ならない。
保育園、小中高校、大学、社会人になってからも、卒業する度に人間関係はリセットされ、会わなくなれば連絡も取り合わなくなる。
定期的に会って昔の話などすれば、沈んだ記憶も浮き上がってくるものだろうが、そうでなければ沈みっぱなしになるのは当然だ。
もともとマルチタスクができない人間だ。細いパイプをいくつも張り巡らせるなんて妙技は到底かなわず、一人に全集中して太いパイプをつなげてしまう。私のエネルギーを注ぐためのパイプを。
一人に意識が向かえば、それまで向き合っていた人に背を向けることになる。意識の外に出てしまった人の影は、再び視界に入るまで、また記憶の奥底に追いやられていく。
私は温かい人間でありたい。
『温かい』というのはそれだけでポジティブな言葉だ。
『温かい』をネガティブな意味で使う場面が思い浮かばない。それは『温かい』ことが『生きている』ことと同義だからだろう。
私はいま『生きている』だろうか。
『温かさ』を保てているだろうか。
自問は尽きない。
それでも確かなのは、私の心臓がいまも動いているということだ。熱を持った血液は休むことなく全身を巡っている。
遠い日のぬくもりとは、過去に『生きていた』自分の熱であり、『生かしてくれた』周りの体温だ。
自分の心臓がまだ動いているということは、これまでの人生のすべてにおいて、ずっとどこかが温かかったということだ。
具体的に思い出せなくてもいい。家族で囲んだ食卓や、友人や恋人の笑った顔は、私の脳裏にぼんやりとした湯気のように残っている。それが私の『ぬくもり』の正体だとしても、否定される筋合いはないのだ。
私の心臓は動いている。
いまはこの身の『温かさ』をどう残し、伝えられるか。自分を生かすこと、誰かを温めること。それを考えよう。
#遠い日のぬくもり
もう3日も筆が止まっている。
いや、動かしても像を結ばないと言うべきか。
お題からストーリーを組んでみてもどうにも納得がいかない。
書いているものをいったん離れて眺めてみて、結局何が書きたかったんだろうと途方に暮れる。
仕上がったものが何も伝えてこない。
こうして書いている『いま』も、お題を無理やり組み込めないかと悪あがきをしている。
『降り積もる想い』を『光の回廊』から眺める私の横で『揺れるキャンドル』の火。
取ってつけたようなお題の存在が妙に浮いて、ひとつの粗が目につけば全てが不完全に見える。
そうこうしている内にも、お題は次から次へとやってきて、書かなきゃいけないことがたまっていく。
書くことが義務になってることに気づく。
これはお題の呪いだ。
お題のためだけに生まれた舞台が、台詞が、人物が、形になる前に死んでいく。
ごめんよ、生かしてやれなくて。
でも歪な形で世に送るくらいなら、いっそ破り捨てたほうがいい。
この3日間、そんな事ばかり考えていた。
こんな愚痴っぽいことを言ったところで、どうにもならないことくらい分かっている。
全ては無意味なこだわりと、自意識の過剰さのせいだ。
書きたいことがないなら無理して書く必要はない。
書くために寝る時間を削る必要はない。
書けないなら一旦筆を置いてもいい。
そんな当たり前のことも甘えや逃げに思えてくる。
分かっていた。
もともと筆不精を克服したいと始めたこと。
とにかく書くんだと自分を追い立てていたこと。
分かりきっていたんだ。
筆が止まったときに自分を責めてしまうことも、
いったん筆を置いたら、再び手にするまでに時間がかかることも……。
書くことに理想を追いすぎた。
書くことに意味を求めすぎた。
書くことに義務を課しすぎた。
何にそこまで追い詰められる必要があろうか。
何故それほどまでに縛られる必要があろうか……。
少し心に余裕が持てるようになるまで、しばらくお題から距離を置こうと思う。
お題から浮かぶものがあれば書くし、そうでなければ書きたいことを書くだけだ。
書きたいことがなければ、その日見たものを書こう。
書く習慣って本来そういうものだろうし、お題はあくまで筆を執るためのヒントだから。
必ずしもそれに従う必要はない。
自分で自分を責めるのもやめよう。
だから最後に、書けなくなった私へ。
書くことを嫌いになるな。
タイトル『記憶の仕立て屋』
石畳の路地裏、街灯の光も届かないような場所にある小さな店。ここで僕は、時間の繋がりがほつれてしまった記憶の断片を、特別なリボンで繋ぎ合わせる『記憶の仕立て屋』をしている。
「失礼するよ」
カウベルの乾いた音と共に、一人の老紳士が店に入ってくる。僕は作業台から顔を上げ、彼を出迎えた。
老紳士の名はエド。彼はここのところ、週に一度はこの店を訪れている。
エドは、ゆっくりとした手つきで、テーブルの上にいくつかの『光の欠片』を置いた。それは、ビー玉ほどの大きさで、淡い光を放つ記憶の断片だ。
「今日は、これをお願いしたくてね。……最初の形が分からなくなってしまった」
僕はその欠片を拾い上げ、ルーペで覗き込む。
「先月修繕した箇所のようですが、リボンの劣化が随分と早いですね」
「今朝は妻の名前を思い出すのに、三十分もかかってしまった。いまでは今朝の食事すら思い出せん……」
エドは自嘲気味に微笑んだ。
記憶の断片を綴じ合わせるために使うのは、特殊な『時の糸』で織られたリボン。時間の繋がりを失った記憶を結んで、一連の物語として心に定着させるのが僕の手腕の見せ所だ。
僕は引き出しを探って、一本のリボンを選び出す。
「前回より分厚いリボンを使ってみましょう。これで、結婚式の日と、娘さんが生まれた日の記憶はより強く結びつくはずです」
僕は指先に意識を集中し、リボンの端を記憶の欠片の裂け目に通して縫い合わせていく。リボンが通るたび、店の中に柔らかな香りが漂った。しっとりと地面を濡らす雨、教会の庭に咲く花、赤ん坊の産着の匂い。
エドの瞳に、わずかな輝きが戻っていく。
「妻は長らく子を授からなくてね。それでも二人で祈り続けたのさ。娘の誕生日はとても穏やかな日でね……」
記憶が結ばれるたび、エドの語り口は滑らかになっていく。
しかし、作業の終盤、思わず手が止まった。
最後の一つ、エドが「最も大切だ」と言っていた、妻との最後の旅行の記憶を繋ぐためのリボンが、どうしても足りないのだ。
「おかしいな。計算では足りるはずだったのですが……」
僕は困惑した。記憶の損傷が予想以上に激しく、リボンを使いすぎてしまったのだ。棚を探しても、エドの記憶に馴染むような、深い愛情と哀しみを含んだリボンはもう残っていない。
リボンで繋がれなければ、この記憶は明日には消えてしまう。それはエドにとって、妻が最後に残した微笑みを失うことを意味していた。
「リボンがないのかい?」
エドが静かに尋ねた。僕は唇を噛み、頷いた。
「申し訳ありません。私の手落ちです。他のリボンでは、あなたの記憶を傷つけてしまう……」
エドは少しの間、考えるように黙り込むと、やがてコートのポケットから何かを取り出した。
「……これを使ってくれないか」
彼の手の中には、夕焼けを溶かしたような、優しいピンク色のリボンがあった。
「それは……?」
「妻が、若い頃に髪を結んでいたものだよ。彼女が亡くなった後、形見として持っていた。……これを糸にして、私の記憶を縫い止めてほしい」
僕は息を呑んだ。『時の糸』で織られていないリボンを記憶の綴じ合わせに使うことは、仕立て屋としての禁忌に近かったからだ。
物が持つ強い記憶や愛着が、持ち主の精神を飲み込んでしまう恐れがある。
「危険です。もし、あなたの意識がリボンに残った奥様の思念に引っ張られてしまったら……」
「構わないよ。彼女を忘れて生きるよりは、彼女の近くにいられる方が、私にとっての救いだ」
エドの目は真剣だった。僕は覚悟を決め、そのシルクのリボンを細く裂き、針に通した。
リボンが記憶の欠片を貫いた瞬間、店の中に、言葉にならないほどの愛おしさが溢れ出す。
――あなた。忘れてもいいのよ。私はいつもここにいるんですから。
それはリボンに染み付いた『妻の想い』だった。僕の手の中で、二人の人生が、時を超えてひとつに結ばれていく。
最後の一針を終え、リボンを固く結んだとき、店内を光が包み込んだ。
しばらくして、しっかりと綴じられた記憶を胸に、寝息を立てるエドの表情は、ここ数ヶ月で最も安らかだった。その記憶の真ん中には、あのピンク色のリボンがしっかりと通っていた。
目を覚ましたエドは不思議そうな顔をした。
「……おや。私は何をしていたのかな?」
僕は微笑んで、静かに答える。
「大切な贈り物の包装を、やり直していたのですよ」
エドは自らの胸元をしばらく見つめた後、思い出したように記憶を抱えて店を出ていった。彼は既にここに来た理由すら覚えていないかもしれない。でも、あの胸に抱えた妻の記憶だけは、決してほどけることはないだろう。
人の記憶は儚く、そして重い。それでも人は、忘れるまいとして誰かのもとを訪れる。
もしも手の中でほどけかけている記憶があれば、僕はそれに合うリボンを探して再びきつく結び直す。ただし、僕にできるのはそこまでだ。何を結び、何を手放すかは、いつも持ち主自身に委ねられている。
#時を結ぶリボン
※この物語はフィクションです。登場する人物および団体は、実在のものとは一切関係ありません。
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タイトル『ガラクタの勇者(前編)』
俺の名前はレン。ミユキがつくったこの『こころ』っていう世界で、一番の嫌われ者だ。
空を見上げると、今日もミユキの気分を映したみたいな、ふわふわしたピンク色の雲が浮いている。街の広場じゃ、ミユキにとっての『理想の人たち』が、お行儀よくお茶を飲んだり笑い合ったりしている。
アイツらは、ミユキが『こうだったらいいのにな』って願った、優しさだけでできたお人形だ。誰の悪口も言わないし、いっつもニコニコして。正直、見てるだけで反吐が出る。
俺みたいな、ボロボロのコートを着て、煤けた剣を持ってるガキは、アイツらにとっちゃ『綺麗な世界』を汚すゴミなんだろう。俺が街の端っこを歩くだけで、みんな一瞬だけ、嫌なものを見るような目で俺を睨んでくる。
「……ケッ。勝手に見てろよ」
俺は唾を吐く真似をして、世界の隅っこにある物置小屋に引き返した。
ここは、ミユキがもう見たくないものを詰め込んだゴミ捨て場だ。
片目の取れたクマのぬいぐるみ、途中で描くのをやめたスケッチブック、友達に書いた手紙、それから……『正義感』の姿をした俺。
こう見えても、俺も昔は人気者だったんだぜ。
ミユキがまだ小学生だった頃、俺はキラキラの鎧を着たヒーローだった。ミユキが新聞紙の剣を振り回して、悪者退治の真似をすれば、俺も一緒になって大剣を振るった。
ミユキが正義感から「そんなのダメだよ!」って勇気を出して言えば、俺の剣も太陽みたいに光った。あの頃は、俺がこの世界の主役だったんだ。
だけど、あの雨の日のせいで全部ぶち壊しになった。
友達が嘘をついているのを、ミユキは先生に教えた。正しいことをしただけなのに、次の日からミユキは『ヒーロー気取り』って呼ばれて、仲間外れにされた。
ミユキはボロボロ泣いて、心に鍵をかけたんだ。
『正義なんていらない。正しいことなんて言わなきゃよかった』
その瞬間に、俺の鎧は真っ黒に錆びて、俺はヒーローから『不幸を招く不吉なガキ』に格下げされたってわけ。
俺は今、あの日ミユキが物置小屋に捨てたダッフルコートを羽織っている。それまではお気に入りだったのに、見るだけであの日を思い出すんだってさ。
俺はぶかぶかのコートの袖をまくって、小屋の隅っこに座り込んだ。
街で戯れてるアイツらは、今この瞬間も、ミユキが現実でどれだけ苦労してるか分かってない。アイツらは『楽しい妄想』だから、ミユキの辛い気持ちなんて理解できないようにできてるんだ。おめでたいよな。
でも、俺には分かる。
ミユキが辛くなると、あの雨の日みたいにコートの袖がじわじわ湿り始めるんだ。
ほら、今もだんだんと空のピンク色が、ドロドロした嫌な紫に変わっていく。足の裏から、嫌な振動が伝わってくる。
「……チッ。また来やがった」
俺は壁に立てかけてあった、錆びた剣を掴んだ。
ミユキは今、会社かどっかで、誰かにめちゃくちゃなことを言われてるんだ。でも、ミユキは言い返さない。「すいません」って顔をして、心の中で俺を、この物置小屋の奥へもっと深く押し込もうとする。
『怒っちゃダメ。正義感なんて出しちゃダメ。笑ってやり過ごさなきゃ』
ミユキがそう思えば思うほど、俺の小屋の扉には重たい錠前が増えていく。
だけど、ミユキがどれだけ俺を消そうとしたって、無理なんだ。
彼女の中に溜まった『嫌だ!』っていう気持ちが、黒い霧になって街に溢れ出そうとしてる。あのお人形たちじゃ、あんなの触れることさえできない。
俺は一人で、ガラクタの山を蹴飛ばして外に出た。
誰も俺を助けない。誰も俺に『ありがとう』なんて言わない。それどころか、俺が戦えば、ミユキは『どうして私はこんなにイライラしちゃうんだろう』って、また自分を嫌いになる。
バカバカしいよな。嫌われ者の俺が、俺を嫌ってる主人のために戦うなんて。
「……さっさと終わらせるぞ」
現実のミユキが飲み込んだ『怒り』が、もうすぐ目の前まで迫っている。あの真っ黒な魔物からこの世界の光を守れるのは、俺しかいない。
俺は錆びついた剣を握り直し、目の前に広がっていく闇を胸の底から強く睨みつけた。
〜『ガラクタの勇者』前編 了〜
後編はnoteに挙げます🙇
前編→https://note.com/yuuki_toe/n/na97f592d7c58
後編→https://note.com/yuuki_toe/n/n28f5061f4d75
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