今日の心模様
眠い。窓から振ってくる陽の光が優しく私の背中を包む。
特に何も無いけれど、少しだけ疲れてしまった日だから、意味もなく、用もなく教室に残っている。
少しづつ赤みが増していく陽の光を眺めつつ、そろそろ帰ろうかと考える。給料日前だからお金もないし、今は耐える時期だ、そう言い聞かせる。
「あれ?なにしてるの?」
部活も何もない日に残っている人がいるとは思わなくて、不意に入ってきたその子の言葉に体が跳ねる。
「わ、ごめん急に!こんな時間に何してんのかなって思わず声掛けちゃった」
「ううん、こんなことしてる人いたら誰でもそう思うよ。気にしないで」
クラスで明るくて、ノリがいい。そんなイメージのある子だ。髪色も明るいし、あまり絡まない私にもこうして声を掛けてくれるらしい。私なら絶対スルーしてしまう。
「それで、何してたか聞いてもいい?話したくないとかなら無理しないでね?」
「大したことじゃないよ。私は、ちょっと、なんて言うのかな」
疲れた、と言ってもこの状況なら深い意味で取られてしまうかも。ほんとに、誰もいないここでちょっとだけ自分に浸りたかっただけで。
「……ちょっと、雰囲気に浸りたかった、みたいな」
「なんか、かっこいいね」
よく分からない私の言葉にも、茶化さないでいてくれて、そんな言葉を返してくれた。下投げで優しく投げるキャッチボールのような感覚だ。
「でも、私もこんな感じの雰囲気好きだから来たんだ。3階だから眺めもいいもんね」
そう言って窓を眺める彼女の横顔は、少し大人びて見えて、明るい人の翳を勝手に覗いたみたいで少し罪悪感を感じる。きっと何かあったのだろう、でも私にはそれを聞く勇気も、信頼関係もない。
「……ちょっとさ、サーティワン付き合ってくれない?甘いもの食べたいんだ」
「え、うん。行きたいんだけど、今週の木曜日が給料日で、お金あまりなくて」
「じゃあ私奢る!お返しに今度ノート見せてくれない?」
それは、私は損をしてないけれど、いいのだろうか。でもあまりにも頭を下げているからなんだか申し訳なくなってきて、
「やめてよ、むしろこっちがいい思いしてるけど、いいの?私のノートなんかで」
「うん!私あんまり勉強得意じゃないんだけどさ、前にノート見えちゃった時、すごい丁寧だなって思って。今勉強のモチベ高くて、実は前から、ちょっと声掛けてみようかな、なんて思ってたんだよね。教えてもらいたいなって」
少し照れ笑いで、彼女はそう答えた。真っ赤な夕日が少しづつ沈んでいって、教室の半分は闇。私たちの場所も、少しづつ黒に染まっていく。
「私ので良ければ、いつでも見せるよ」
「ほんと!じゃあ早くアイス奢らなきゃじゃん!行こ!」
アイスなんて無くても、見せるくらいなら全然いいのに。そう言える日は少し先の未来には在るのだろうか。あって欲しい、そう思う。
気づけば私の心には満月があって、闇はすっかり晴れていた。
沈む夕日
眩しい光がアスファルトに照りつける。あまりに強いそれはとても白く、空を見上げた時に反射鏡に跳ねた光は私の目に飛び込んだ。それが一瞬だったとしても、目の奥にはその痕が瞼の裏にはっきりと残っている。
風が吹く。チェックのスカートと胸元のリボンを揺らし、鼻先に夏の匂いが運ばれる。思わず深呼吸をして、肺いっぱいに夏を吸い込む。心が澄んでいくような感覚と、じんわりと湧く汗が身体を伝う。
カチ、カチ。公園の大きな時計が大きな音を立てて回っている。長針は1秒経つ事に隣の数字へ股飛びに移動した。あっという間に一周して、短針は三へ。時計の音は次第にゴン、ゴン、と重い音へと変わっていく。
身体の真ん中が、重い。ピリ、とした波動の感覚。思わず目を向けると、服が真っ白で簡素なものに変わっていて、まるで病人のようだった。
針がゴン、と大きな音をたてる。じわじわと割れていく感覚と共に身体の中心には黒い亀裂が入っていた。気づけば、時計の針は11時を指していた。
どこからか、水の流れる音が聞こえる。さっきとは違う空気が流れているように感じる。まるで、世界が変わったような感覚、みたいな。
身体を見ると、全身にヒビが入っていて、とても人間の体には見えなかった。痛みは無いけれど、喜びも悲しみも、他にも何も感じない。でも、不思議と身体の動かし方が分かる。身体中にキレツがはいっても、そこに厶かえばいいのだと。
あれるけはいのないみずのながれをみるとしぜんとあしはそこへむかっていた。
まわりにはあかいろのはな。
はなびのようなふしぎなはな。
ぽちゃ、あしがみずにふれる。かんかくなんてないけれど、みているじょうほうをのうはそうしょりした。
体が冷たくなると、体の一部にはまだ熱を持つ部分があることに気づく。それを感じると、少しだけ頭が動く。そして、少し熱がある部分を意識する。でも、認識したからか、その熱は急激に冷めていった。こおりのようにつめたい、かたまでみずにつかったときだった。
「ありがとう、愛していたよ」
「ユキがいてしあわ――」
ぷつ。線が切れた。でも、ここは不思議と冷たくない、そう思えた。もう誰か思い出せないけれど、あたたかな気持ちでいっぱいだった。水面に向かって手を伸ばす、何も感じなくなった体は、重く、ゆっくりと沈んでいく。そしてこれが私の最後の意思だった。
「この子は、何を思っていたのかね」
思わず、水面に咲く手を掴んでしまった。それを見捨てるにはあまりにも酷だと、そう思ってしまったから。
「それはもう、見るに堪えない程の体のヒビだった。最期に残ったこの手も、もう崩れ始めている。きっと水で朽ちるか彼岸に舞うかの違いしかなく、私が拾ったところで意味はないだろうが」
この子は、星空を見ることなく、その生を終えた。
いや、人生を時間で表すのなら、きっと昼にもなっていないだろう。深く赤い夕日も、吸い込まれるような星空も、彼女にはやってこなかった。
「私の子には、きっと日が沈むように見えたのだろうな」
子らには夜がやってきた。この子に月は来なかった。それはそうだろう、太陽があるうちは、月も星も見えないのだから。
若い小さな小さな光は、沈む太陽のように、一瞬だけ眩しく光った。その光が、残していった人達の、希望になれば、と。そう願って船を漕ぐ。
ぽちゃ、水が揺れる。見たことの無い魚が、水面に尾ひれを跳ねさせた。