物語の終わりはいつも
ハッピーエンドであると信じてる。
好きな人に
見つめられると、
内心、困惑して
冷たい態度を取ってしまう。
してしまった後悔を
たまに思い出しては
悲しくなってしまう。
優しく微笑んだ瞳、
まだ鮮明に覚えている。
笑顔で返せばいいのに、
会釈すら出来なくて
どうしちゃったものだろうか。
恋になると、
一気に不器用になってしまう。
次会ったら、
もしまた会えたら
そのときは私も
優しく微笑んで。
自分の心に正直に、
いつもオープンマインドでいようと思う。
自分の心が開かれていれば
自分の心に従っていけば、
それに併用して、
自ずと道も開かれる。
そうなれば、人生ももっと生きやすくなる。
時に、
己を閉ざし、偽ることは、
現実を生き抜くための
必要なひとつの手段として、
身を守るための
賢明なひとつの方法として、
存在してもいいと思う。
けれど、
自分という、
心にも直結する自分を
忘れてはならない。
忘れては、世の中の見え方も
日に日に無表情になってしまう。
奇跡は毎日起きている。
聖人君主を目指せとは言わずとも、
人に笑いかける、
ありがとうを言う、
小さなことに喜びを見出す、
それだけでも、
自分の心は開かれる。
奇跡は起き、またはそれに気づき、
やりたいことも見つかり、
自分の望みが分かったり、叶えたり、
人の優しさに気づいたり、
あたたかい気持ち、嬉しい気持ちになったり、
世の中が明るく見えてくる、愉しくなる。
素敵な人たちにも出会えていく。
もう、それが出来ないほど、
人生が辛かった人、苦しんでしまった人は、
焦ることなく、無理することなく、
自分のペースで、
今からでも少しずつ、
ゆっくりとでも、
己と向き合える時間を、
日々に喜びやユーモアを見出していく小さな努力を、
自分の心に栄養を与える何かをして(まったりも)、
自分の心を大事に大事に、
また、
再生させていけば良いと思う。
そうすればまた幼き時のように
大きく心開いて
真っ直ぐに、
自分の人生を見つめられるはずだから。
心に正直でいれば、
オープンマインドでいれば、
損をすることも、
痛いこともあるけれど、
心が曇らない生き方を
私はしていきたいと思う。
ないものねだりのようだけど、
それで希望が持てるなら
私はいつだって
ないものねだりをしよう。
それが実現不可能でも
不毛でも、
滑稽でも、
自分の中で
密かにそれを育んで、
いつか叶うと信じて。
昔の恋で、
好きじゃないのに想ってしまう現象に
困惑してた時があった。
好きじゃないのに想ってしまう、
ということは、
もう完全に恋してるってことで、
素直になれなかっただけみたい。
恋はね、
素直になった方がいい。
改めて思う、
今日この頃です。