夢と現実の狭間にいたことはあるか。眠りにつくとき、うとうとしていらあのじかん。回らない頭で意味のわからない文字列を浮かべ、頭の中から映像を取り出す。それが夢だ!とわかった瞬間にはっと目が覚める。あと少しで眠れたのに、という悔しさと夢と現実の間にいたあのおかしさに少々むず痒くなるのだ。
どんな人生でも必ず別れはやってくる。また遊ぼうね、と手を振り解散するものから、二度と会えなくなる最愛の人との別れまで、種類は千差万別と言えど誰もが経験するだろう。さよならは言わないで、また会えると信じて手を振る。永遠の別れなどやってこないでと言わんばかりに。また会おう。その日がやってくることを信じて、さよならは言わない。
光と闇。相反する2つは決して交わることは出来ない。どちらが魅力的かは人によって様々だ。少し厨二臭いことを言うようだが、人は誰しも光と闇の両方を持っているとおもう。光を善、闇を悪とするのが考えやすい。全身光に包まれている人間も、また闇に全てを飲み込まれた人間も居ないだろう。人は光と闇の狭間で迷いながら毎日を生きているのかもしれない。
今年の初夏、遠方に住んでいる友人の元へ会いに行った。片道7時間の長旅。とにかく距離が遠かった。長らくあっていなかったがいざ顔を合わせると学生時代に戻ったかのように話した。どれだけ遠くに住んでいても、どれだけ時間が空いても、思い出の距離は意外とすぐそこなのかもしれない。すぐに取り出せる引き出しの中にしまってあるように。それは彼女が示してくれた。また遊ぼうね。
最初の文章にも書いたはずだが、私は幼い頃随分と泣き虫であった。他人が先生に怒られているだけでも恐怖で泣いてしまうほどの涙脆さ、精神的にも未熟であった。毎日5回くらい泣いていた気がする。もしもタイムスリップして当時の自分に会えるのならば、「泣かないで」とそっと涙をふいてあげたい。もちろんそれで泣き虫が治る訳ではないのは承知の上だが、あまりにも泣いていた記憶が多いので、少しだけ成長した自分を見せて安心してもらいたい。ほら泣かないで。