帰ろうとしたら、急に雨が降ってきた。雨の予報ではなかったので、傘を持っていなかった。「傘、忘れた」と言っていたら、ふいに君が通りかかった。
「傘ないの?これあげるよ」と、ビニール傘を差し出してくる。えっ?と戸惑っていると「忘れてよく出先で買うから、傘たくさんあるんだよ」と言って、さわやかに笑う。そして、カバンからさっと折り畳み傘を取り出して、さっと行ってしまった。
その時の傘は、まだ大切に家にある。
「雨と君」
廊下を歩いていると、何か音がした。誰もいないはずの教室。誰かいる? 扉を開けてみる。誰もいない? 中に入ってみて、階段教室の上から眺める。一段一段降りて、教壇までたどり着く。誰もいないよね。振り向いて、ズラっと並ぶ机を見渡す。奥に向かって規則的に続く机の列が、いつまでも続いているように見える。
これまで、どのくらいの人たちがここを出入りしたのだろう。色々な人たちの気配が教室の中に沈んでいる。ガタン、ガタン。ん? 椅子の音? 他の場所から響いているのだろうか。
教室は、誰もいなくても、ずっと人の気配を宿している気がする。
「誰もいない教室」
仲間たちと乗った車の旅は、おしゃべりが楽しくて、私はわくわくしていた。
山道を行きながら、後ろの席から運転する人を見ていた。密かに憧れていたその人は、運転が上手だった。カーブをくるりと曲がり、すいすいと行く。山の木立を抜けると、ぱっと青々した高原が広がる。周囲には、全く車も人もいなかった。
さらに進んでいくと、珍しく信号があった。そこでどのくらい止まっていただろう。助手席の人が、「あれっ? 信号変わらないね」と言う。運転する人と信号を覗き込んで、同時に「あっ!」と言った。感応式と書いてあったらしい。
「このまま気づかなかったら、ずっとここにいたのかもね」。山の中で、ずっとぽつんと止まっていたことがおかしくて、皆で笑った。でも、私は、もっとこのままでも良かったなんて思っていた。穏やかなこの時のことが、今も心に残っている。
「信号」
思い起こせば、言い出せなかったことが、たくさんある。それは、小さな後悔として心に残っている。素直に思いを言葉にしていれば。そのおかげで、ちょっとしたすれ違いコントみたいになったこともある。
最近、改めて思う。物事を見るとき、それは自分の基準を通してであって、それがほかの人も同じとは限らない。だから、本当の思いはわからない。もしかすると、あの時、あの人も。言い出せなかった言葉があるのかもしれない。そう思うと、心が少し軽くなる気がするのだ。
『言い出せなかった「 」』
なんとなくお互いに好意を持っていた気がするのに、付き合うということもなかった。でも、ずっと心の奥に残っている。消化不良の思いが、宙ぶらりんでいる。
その宙ぶらりんのものを、再び引き上げるとか、そんなものでもない。もう、あの時の状況でもなく、自分でもない。月日がたてば、それはもう何層にもなって、ステキにコーティングされている。
ただ、ふとした時に心の中からそっと取り出して、懐かしむものなのだ。
「secret love」