涼しくなると、あんなに暑いのは嫌と思っていたのに、妙に夏のことが恋しくなる。海にも山にも行かなかった。夏を自然の中で楽しむことがなかったなと思う。砂浜は熱すぎる。山もたどり着くまでを想像すると、行くのは無理だっただろう。
今見る海も山も、あの夏真っ盛りのものとは違う。夏の姿を見られなかったのを寂しく思う。ふと空を見上げると、空はずっと高く感じる。晴れた日の高く見える空に薄い雲が浮かぶ。
あっ。下の方に分厚い白い雲がモクモクとあるのを見つけた。入道雲とは違うかもしれない。でも、夏の忘れ物を見つけた気がした。
「夏の忘れ物を探しに」
子どものころ、8月31日にさっぱりとした気持ちで迎えることはなかった。大抵、宿題の残りと格闘していた。前倒しでがんばるというよりは、追い込まれてやるタイプだった。
夏休みに入ってすぐは、長い休みを思ってワクワクした。でもお盆を過ぎれば、転がるように時間が過ぎて、あっという間に最終日を迎える。
31日は、朝から休みももう終わりかと、ふと寂しくなる。でも、長く浸る間もなく、残った宿題に取り組んで、昼過ぎまでは焦っている。
夕方に近づくにつれ、少しの諦めと妥協が頭の中に浮かびはじめる。あー、もう終わってしまう。仕方がない。勝手に諦め感が優勢となって、明日から始まる日々に思いをはせる。
8月31日の午後5時はそんな時間だった。
もう関係のない今でも、そのころになるとなんとなく胸がざわざわする。
「8月31日、午後5時」
ひとりでしていた作業を、ふたりですることになった。ひとりでは見えなかったことが分かって、新たな発見があった。楽しみも悲しみも色々なことが分かち合える。まるで白黒からカラーの世界になったように彩り豊かになった。
でも、今まで見えなかったものも見えてきた。お互いの意見が違う時のちょっとした煩わしさも増えた。それでもふたりでいるのは頼もしい。衝突があっても、それができる相手がいるということ自体が、うれしい。
「ふたり」
少し落ち込んでいた。親しい人ともケンカして、すっかり悲しくなった。そこへ、みんなが笑顔で現れた。知っているような、知らないような人たち。「ごめんね。みんな、うそだよ」。あー、そうだったのか。びっくりするくらい涙が出てきた。サプライズ的なことも苦手なのに、すごくうれしい。涙が止まらない。
はっと目が覚めた。夢か。全部夢だったのか。感情は今もそのままあるのに。あと、もう少し…。目をつぶってみても、もうあの世界には戻らない。でも、きっと心の奥底にある感情なのだ。自分が思ったより弱っていたのかと気づく。
夢で見た心の中の風景に教えられた。
「心の中の風景は」
夏の暑さにもめげず、道端で見かける夏草は、青々としてさわやかに見える。どんなに日差しが照り付けても、負けない。熱を帯びたアスファルトの隙間や、街路樹の横で、たくましく伸びている。すっすっと黄緑に光る葉、かわいい小さな花が咲いていることもある。
雨の後は、より一層瑞々しい。涼やかで、その群生のそばを通りたくなる。でも、よく半袖の腕などが、後にポツっと赤く腫れてくる。あー、やられた! そのさわやかさは、蚊とセットだった。すっかり忘れて、ついやってしまうのだ。
「夏草」