旅先で、バスが来るまで時間があった。炎天下で暑い。バス停の近くにパン屋さんを見つけた。こしあんとクリーム入りのあんぱんの写真が目に入った。あんこ好きなので、どうして気になって、お店のカフェで休むことにした。
あんぱんをさっそく一口。なめらかなこしあんの甘さと、甘さを抑えたクリームが口の中にふわっと広がる。ほんのりバターの香りがするパンとの相性もよい。よく冷えた店内で、コーヒーと交互に味わう。ああ、いい感じだ、また食べたい。
次の機会は、なかなかないかもしれない。
でもこのおいしかった思い出はずっと残る。
「きっと忘れない」
今、涙していいのだろうか。今、泣くことはおかしなことなのだろうか。泣くことにタイミングなんかないはずなのに、考えてしまう。
あの日、「なぜ泣くの?」と聞かれたから。
事あるごとに、すぐ涙する人もいる。悲しい時もうれしい時も感情がおもむくままに涙する。その自由さが、まぶしい。
泣いてはいけない、その思いがずっと足かせになっていた。
でも、色々な思いは心に重く沈んでいく。一つ二つと折り重なって心の容量からあふれ出すと、涙があふれてくる。ダメだと思うほど、次々とあふれ出る。
自分では、どうしようもない。それは必要なものなのだろう。湧き上がる感情をどんどん流すために、涙する。
「なぜ泣くの?と聞かれたから」
道を歩いていると、ほかの人の足音が、ふと大きく聞こえてくることがある。
焦った感じ、落ち着いた感じ。ゆったりしている。ワクワクしている。何となくその人の気分が伝わってくる。後ろからカツカツと急ぐ音が聞こえてくるときは、そっとよけて道を譲る。
自分の今日の足音は、どうだろうか。
足音には、それぞれに特徴がある。
何度も会っている親しい人の足音は覚えている。
気になる人のは、すぐに分かる。聞こえてくるとドキドキする。顔を向けなくても分かっていることが恥ずかしくて、顔を見て、初めて気付いたフリをする。
「足音」
夏は短い。子どもの頃はそんな気がしていた。夏休みに入って夏の本番が始まったかと思えば、お盆をすぎた途端、夏の勢いが弱まっていた。
でも、今は夏が長い。早くから夏日が始まり、お盆を過ぎても猛暑が続く。この暑さはいつまで続くのかと思う。暑いというだけで、エネルギーが奪われる気がする。涼を取りながら、なんとかやりすごす。
そんな中でも、吹く風の中に一筋すーっと涼しい風が混じることがある。あっと思う。真夏の風とも違う秋の気配がする。
相変わらず暑い夜、体にまとわりつくような湿度の中で、秋の虫の声が聞こえてくる。変わらない暑さのようだけど、しっかりと次の季節へ移り変わろうとしている。
もう少し夏をがんばろうと思う。
「終わらない夏」
歩いていると、後ろから頭の上を何かがふわっと触った。何?と思うと、通り過ぎていくハトが見えた。飛びたったハトの羽が当たったらしい。
ハトにからかわれたのか、距離を読み間違えたのか? 遠くへいくハトを見ながら、自分の力で自由に飛べる感じはどうなのだろうと思う。
ずっと続く空のその先。飛行機で空へ行ったら、下に雲が見えた。いつも見上げていた雲が下で漂っている。雲の上は快晴だった。下からは見えなかったまぶしいくらいの真っ青な空間を突き抜けていく。
そして、まだまだその先にも空が続く。そんな中にいるちっぽけな自分を思うと、些細なことなんてどうでもよくなってくるのだ。
「遠くの空へ」