泣かないよ
何を言われたって。
ほら、女の武器だって言われるのが悔しいから。
泣いたら腫れ物扱いされるじゃない。
強がりすぎるとモテないよ。
なんて言う奴いるけど。
わたしが生き延びる唯一の方法だったの。
泣かないよって心に言い聞かせなきゃ、
一度涙が溢れたら、
取り返しがつかないくらい心が水没してしまう。
そうやって私を動かしてきたんだ。
もっと知りたい!
と心から思ったとき。
誰かに何かを言われるでもなく、
自分から掻き立てられるように動いてしまう、、、!
仕方がなく動く時とは全然違う。
クリスマスの朝、
サンタさんからのプレゼントを開ける時の
ワクワク感のように、、、!
好きな音楽、
好きな本、
好きなアイドル、
気になるあの子、
サッカーが上手くなる方法、
美味しいご飯の作り方、
お花の上手な育て方、
世界で起きていること、
日本で起きていること、
自分の街で起きていること、
毎日のもっと知りたい!が、
わたしの人生の道標になる。彩になる。
平穏な日常。
このテーマが今日あるのは、
当たり前じゃないことを13年前に身をもって知ったから。
心穏やかに。
今日という平穏な日常に感謝します。
愛と平和は、人工物なの。
愛と平和を願ってみるけれど、
人工物なのに神頼みするのも変な話。
言葉の枠組みだけに囚われて、
人工物ってことを時々忘れそうになる。
「愛と平和」
わたしがいて、相手がいて、
お互いがお互いを想い、願わなければならないもの。
例えるなら、ノックみたいな。
打ちやすい球を投げて打たせてあげなきゃいけない。
でもなんだか、すぐに試合を始めてしまうのが人間の性なのか。
カーブだの、ナックルだの投げ始めて。
全然打てない!ってバッターが騒ぎ始めたら、
試合終了のカウントダウンが始まる。
途中でピッチャーが、甘い球を投げるか、
それともバッターが変化球に慣れていくか、
そうすればカウントダウンはぴたりと止まる。
ピッチャーが甘い球だと思って投げてても、
バッターには速すぎるかもしれない。
ピッチャーの野郎、変な玉投げやがって、、、!!
と思っても、実は手が滑っただけかも。
そんなこと、当の本人にしか分からない。
愛なんてそんなものだ。
これが愛だ!って簡単に証明できる数式があればいいのだけど。そんな簡単なもんじゃない。何通りもの問題があり、何通りもの答えがある。
だから、問題と答えを照らし合わせて、
少しずつ少しずつ、試行錯誤して、
証明方法を考える。愛って地道だ。
式も答えもバラバラだったら、愛には辿り着かない。
式だけでも、答えだけでもダメなんだ。
こうやって地道に生み出した愛があったとしても、
平和とは限らない。愛と平和は必要十分条件じゃない。
だけど、平和は愛なしでは起こり得ない。
自然発生もあり得ない。
人が地道に作り出した愛の塊で出来た人工物なのだから。
お前、声小さいよ。聞こえない。
え?おまえあの大学目指す?辞めとけって。
気が利かない子だねーほんとに。
あの時投げ込まれたナイフが、槍が、刺さってくる。過ぎ去ったはずの日々なのに。今だに。
過ぎ去った日々ってなんだよ。
今、わたしが己と信じて対面しているこの時間が、
過ぎ去った日々によって羽交締めにされている。
過ぎ去った日々たちの鎖。ずっとずっと付き纏ってくる。
誰か、持っていませんかね、いとも簡単に引きちぎれる秘密道具。
ハサミじゃ痛いよね。切り刻んでしまいたいんだけどね。
鎖がわたしに巻きつき過ぎて、
粉々にしたらさ、私も、消えてなくなってしまうと思うんだ。
もういっそのこと、包帯男の鎖バージョンでハロウィンショーにお忍びで出ようかしら。
ハロウィンショーに出るか、鎖に窒息させられるか、
それとも、粉々にしてしまうか。
結局、わたしは消えてしまった?笑
過ぎ去った日々と歩いているのがわたしなの?
過ぎ去った日々がわたしなの?
過ぎ去った日々と関係なくなったらわたしじゃないの?